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二本松城・多賀城・仙台城 |
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青春18きっぷ
![青春18きっぷの画像](../ticket/s201707.jpg)
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事前の計画案
![青春18きっぷの旅行程表](20170727/20170727travel.jpg) |
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青春18きっぷ東北地方内陸部の旅も2日目。今日は仙台まで行く予定だ。途中、二本松城に寄り、仙台駅から北へ国府多賀城駅まで行って、多賀城を見学。再び、仙台に戻って仙台城を見学して仙台に宿泊する。3ヶ所のお城を見学するので、ややハードスケジュールかな。早く出発しなければと思うが、今宿泊している郡山から最初のお城である二本松城のある駅まで30分弱である。あまり早く行ってもお城のスタンプは押してもらえないだろが、スタンプ設置は、二本松市歴史資料館かJR二本松駅構内観光案内所だ。お城見学後に二本松駅に戻ってきた時に観光案内所で押させてもらうことにする。
二本松駅から二本松城入口までは約1.3Kmで20分ほどかかる。二本松駅に8時頃に着くように郡山駅を出発する計画を立てた。
7時35分発のJR東北線福島行に乗る。二本松駅には7時59分到着。駅前の二本松少年隊士像「霞城の太刀風」を見ながら県道129号線を右折。久保丁坂入口を左折。なだらかな久保丁坂を登っていく。結構長い坂なの疲れる。陸橋の下をくぐると下り坂、二本松北小学校の脇にでる。二本松城まではあとわずか。 |
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![二本松駅の写真](20170727/IMG_0652.JPG)
二本松駅 |
![二本松駅の写真](20170727/IMG_0653.JPG)
二本松少年隊士像
「霞城の太刀風」 |
二本松城を見学し、二本松駅9時48分発の東北本線/福島行に乗る。福島駅で乗り換え、仙台駅へ。再び乗り換え国府多賀城駅に着いたのは12時31分予定通りだった。 |
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![仙台駅での乗換案内の写真](20170727/IMG_0688.JPG)
仙台駅
JR仙石東北ライン12:17発
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![国府多賀城駅の写真](20170727/IMG_0689.JPG)
国府多賀城駅
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多賀城のスタンプ設置は国府多賀城駅の連絡自由通路だ。国府多賀城は橋上駅で改札を出て右に曲がった所にスタンプ設置場所があった。気が付かずに階段を降りてしまい、失敗。すぐに気づいて戻った。
国府多賀城駅の写真は2017年7月に行った時のものだが、現在の駅周辺は開発が進んだようで、写真のように遠くまでの見通しは良くないので注意が必要。
多賀城は駅から約1.4Kmほど、20分くらいで着く。
多賀城を見学、駅近くの特別史跡館前遺跡を見学した。
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![特別史跡館前遺跡の写真](20170727/IMG_0709.JPG)
特別史跡館前遺跡
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特別史跡館前遺跡
台地上に位置する本遺跡は、多賀城跡の南東隅から200mほどの距離にあり、さらに政庁跡との距離は600mになります。また、ここから南東方向500mの高崎丘陵上には多賀城廃寺があり、本遺跡は政庁と廃寺を結ぶ線のほぼ中間に位置しています。
この遺跡からは掘立柱建物跡6棟、整地層などが発見されており、6棟の建物跡はすべて9世紀前半に存在していたものと考えられます。さらに、6棟の中でも中心に位置するものは、4面に廂(ひさし)が付く格の高い建物です。これは県内でも「陸奥国府」であった多賀城跡にわずか数例あるのみで、しかもそのうち1例が政庁正殿であるということから、四面廂付建物のもつ意味は本遺跡の性格を考える上で極めて価値の高いものです。これらのことから本遺跡は、多賀城に赴任した国司の館跡と考えられ、その重要性から昭和55年3月に特別史跡多賀城跡附寺跡の一部として追加指定されました。
~ 現地案内板引用 ~
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国府多賀城駅を予定では14時46分の電車に乗る予定だったが、実際は13時14分の電車に乗れた。今、考えると早足で歩いてお城見学をしたのだと思う。おかげで仙台駅に13時30分に着いた。
忘れている記憶だが、撮った写真に撮影時刻が残っている。便利なものだ。思い出すきっかけになっている。
仙台駅は毎年8月6日、7日、8日に行われる仙台七夕まつりの飾りつけがされていた。
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![仙台駅の七夕まつり飾りつけの写真](20170727/IMG_0713.JPG)
仙台駅 仙台七夕まつり
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予定時間より早く仙台駅に着いたので、仙台城へは歩いていくことにする。仙台駅から出て、今日泊まるホテルで荷物を預かってもらえるか確認するとチェックインさせてくれた。ホテルに荷物を置き、散策に出る。初めに仙台中央郵便局に寄って、お土産をゆうパックで送った。郵便局前から五橋通、南町通、広瀬川を大橋で渡れば、仙台城址の看板が見えてくる。仙台市博物館を目指して進むと魯迅の像にでる。
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![魯迅の像の写真](20170727/IMG_0719.JPG)
魯迅の像
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仙台城址はここから坂道を登っていく。
スタンプは、仙台城見聞館展示コーナーで押せる。
仙台城址を見学し、瑞鳳殿に行くことにする。来た道を戻り、広瀬川の大橋を渡るとすぐ右に曲がる。しばらく進む、何回か曲がりながら瑞鳳殿を目指すが、途中案内標識があるので分かると思う。再び広瀬川を渡り、最初の丁字路を右折する。(案内板あり)突き当たりが瑞鳳殿。うっそうとした中に黒を基調にした落ち着いた趣の瑞鳳殿がある。しばし、時を忘れて見学した。
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![瑞鳳殿参道と杉木立の写真](20170727/IMG_0737.JPG)
参道と杉木立
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参道と杉木立
石造りの階段は、戦争によって焼失を免れた藩政時代のもので、その数は、伊達家の石高(62万石)を表したものと言われます。左右にそびえる杉の並木は古いもので樹齢380年余にもなります。
~ パンフレット引用 ~
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![涅槃門の写真](20170727/IMG_0738.JPG)
涅槃門
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涅槃門
「涅槃」とは「煩悩を取り払った悟りの境地となる状態」を意味し、広くは「来世」という意味にもなります。
瑞鳳殿の涅槃門は樹齢数百年の青森檜葉を用いて焼失前と同様の豪華な飾り彫刻が施されています。
~ パンフレット引用 ~
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![唐門の写真](20170727/IMG_0746.JPG)
唐門
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瑞鳳殿 唐門
天井に金箔を貼り付けたことから「金唐門」とも称されました。正面の虹梁(梁の一種で虹のようにやや弓なりになったもの)の上下の空間には竜虎図と二十四孝説話を題材にした透彫りが挿入されるなど、装飾性に富んでいました。現在は鋼板製の近代的な門になっています。
~ 現地案内板引用 ~
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![瑞鳳殿の写真](20170727/IMG_0747.JPG)
瑞鳳殿
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瑞鳳殿
伊達政宗公は1567(永禄60)年米沢城に生まれました。東北南部を中心に諸勢力を平定し、世に「独眼竜政宗」の異名を轟かせました。江戸時代になると、伊達62万石の藩祖として、産業・経済・文化の振興をはかりました。瑞鳳殿は1636(寛永13)年70歳で生涯を閉じた政宗公の遺命により、その翌年、ここ経ヶ峰に造営された霊屋(墓所)です。桃山文化の威風を伝える江戸時代初期の豪華絢爛な廟建築として、1931(昭和6)年、国宝に指定されましたが、1945(昭和20)年の戦災で惜しくも焼失しました。現在の建物は1979(昭和54)年に再建されたものです。2001(平成13)年には改修が行われ、柱には彫刻獅子頭を、屋根には龍頭瓦を復元し、創建当時の姿が蘇りました。
~ パンフレット引用 ~
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![青銅製龍頭彫刻瓦の写真](20170727/IMG_0753.JPG)
青銅製龍頭彫刻瓦
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青銅製龍頭彫刻瓦
寛永14年 高田久兵衛 作
旧瑞鳳殿屋根隅棟には「阿・吽」計8体の龍頭彫刻瓦が据え付けられていた。瑞鳳殿は昭和20年(1945)7月10日の戦災で焼失したが、青銅製の龍頭彫刻瓦は辛うじて焼け残り、この内4体は松島町が保管してきた。
平成11年(1999)5月24日、松島町所蔵の龍頭彫刻瓦(阿1体・吽3体)の内「吽」2体が、伊達家を介して再建された瑞鳳殿に里帰りし、瑞鳳殿本殿脇と瑞鳳殿資料館内に展示されている。
~ 現地案内板引用 ~
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![瓦の写真](20170727/IMG_0754.JPG)
再建瑞鳳殿銅製九曜紋鬼瓦
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再建瑞鳳殿銅製九曜紋鬼瓦
昭和54年(1979)瑞鳳殿再建の際、焼失瑞鳳殿屋根に据え付けられていた青銅製龍頭彫刻瓦8体は復元されず、代わって伊達家の家紋の一つである九曜紋を付けた銅製鬼瓦が据え付けられた。
平成13年(2001)瑞鳳殿仙台開府四百年記念事業として行われた瑞鳳殿改修工事において、再び新たに制作された竜頭彫刻瓦を設置するにあたり、再建時に制作設置されていたこの銅製九曜瓦は取り外された。
~ 現地案内板引用 ~
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![感仙殿の写真](20170727/IMG_0757.JPG)
感仙殿
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感仙殿
2代藩主
伊達忠宗公(1599~1658)は政宗公の治世を引き継ぎ、法治体制の確立を進め、新田開発や治水、港湾の整備など産業・経済の振興をはかり領内の安定に尽力し、藩の基礎固めをなしとげました。忠宗攻の霊屋である感仙殿は、瑞鳳殿と同様、華麗なもので、1931(昭和6)年に国宝に指定されましたが、1945(昭和20)年の戦災により焼失しました。戦後、瑞鳳殿に続いて1985(昭和60)年に再建されました。2007(平成19)年には改修が行われ、彫刻獅子頭が復元されました。
~ パンフレット引用 ~
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![善応殿の写真](20170727/IMG_0760.JPG)
善応殿
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善応殿
3代藩主
伊達綱宗公(1640~1711)は幼い頃から芸術的な才能にたけていました。19歳から2年ほどの治世の後、故あって幕府から逼塞隠居を命じられましたが、その後の生涯は書画・蒔絵などに天分を発揮し、優雅な余生を送ったといわれています。水墨画等は江戸期東北を代表する芸術作品として、今も高い評価を得ています。綱宗公の霊屋である善応殿は、1945(昭和20)年の戦災で焼失し、1985(昭和60)年に感仙殿と共に再建されました。再建に先立っての墓室の調査では、香道具や文具類などその人柄を偲ばせる副葬品が多く発見されています。2007(平成19)年の改修により鮮やかな極彩色となりました。
~ パンフレット引用 ~
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瑞鳳殿を見学し、仙台駅方面を目指して歩く。途中、東北大学のキャンパスを抜けていく。
仙台駅近くのホテルに戻る。
夕飯は、仙台名物の牛タンにした。
仙台 泊。
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![牛タン定食の写真](20170727/IMG_0762.JPG)
牛タン
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![パンフレット&入場券](20170727/IMG_20210604_164801.jpg)
パンフレットと入場券
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