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008 仙台城

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   仙台城  
 
 場所 : 宮城県仙台市 (Googleマップ)

 築城年代 : 慶長5年(1600)
 築城者 : 伊達政宗
 主要城主 : 伊達氏
 スタンプ設置 : 仙台城見聞館展示コーナー(本丸跡・ガイダンス施設)

 


仙台城の地図

    仙台城の築城
 仙台城は、初代仙台藩主伊達政宗によって造営され、慶長7年(1602)には一応の完成を見たとされています。城は、東と南が広瀬川と竜の口渓谷の断崖、西が険しい山に囲まれた天然の要害で、石垣は主に本丸の周りに築かれました。築城当初は、本丸と現在三の丸と呼ばれている地区が整備されました。その後、二代藩主忠宗が二の丸を造営すると、二の丸が藩政の中心となりました。
 ~ パンフレット引用 ~

 
 
仙台城脇櫓の写真
脇櫓

 
    仙台藩御用酒発祥の地
 仙台藩祖伊達政宗公は慶長13年(1608)柳生丹波守宗矩の仲介により大和の榧森の又五郎を仙台に召下し、榧森の姓と、切米十両、十人扶持を給し、清水門の南側5階御太鼓部屋下に自から地を相し縦16間、横5間の酒蔵を建て、御城御用御酒屋と称した。酒造用水にはこの付近の清泉が使われた。
 榧森家は初代又五郎より12代孝蔵に至るまで仙台城御酒御用を務め、その醸造する酒は夏氷酒、忍冬酒、桑酒、葡萄酒、印籠酒など20余種にも及び仙台領内の酒類醸造に多くの影響を与えた。
 以来仙台藩に於てはいわゆる町酒屋と御用御酒屋とが競い合い酒類醸造技術の向上と藩の経済に大いに貢献した。
 御酒蔵跡と名水の湧出する地は宮城県産清酒の源流の地である。
 ~ 現地案内板引用 ~

 
  仙台藩御用酒発祥の地の写真
仙台藩御用酒発祥の地

 
    仙台城の石垣
 本丸北壁石垣は、平成9年~平成16年にかけて修復工事が行われ、工事に伴う発掘調査で、現在の石垣の裏側から、2つの時期の古い石垣が発見されました。最も古いⅠ期石垣は、政宗が築城した17世紀当初のもので、自然石を加工せず、長いほうを横方向にして積んでいます。次の段階のⅡ期石垣は、17世紀前半のもので、自然石に多少加工を加え、長いほうを前後にして積んでいます。現在のⅢ期石垣は、寛文8年(1668)の地震の復旧のために17世紀後半に築かれたもので、全面が加工された「切石」を、目地をそろえて積んでいます。
 ~ パンフレット引用 ~

 
  仙台城の石垣の写真
仙台城の石垣

 
  本丸北壁石垣の写真
本丸北壁石垣

 
    仙台城の象徴 本丸大広間
 本丸には「表」と「奥」に分かれて数多くの御殿建物が建てられ、その中心が慶長15年(1610)に完成した「大広間」でした。大広間には全部で14の部屋があり。周囲に廻る縁側を合わせると約430畳もの広さがある桃山建築の粋を集めた豪壮華麗な建物でした。また大広間の北には「能舞台」、東の崖際には「懸造」がありました。
 ~ パンフレット引用 ~


  政宗が座った上段の間
 上段の間は、最も重要な儀式や、藩主が家臣との対面を行った格式の高い部屋です。幅が4間(約7.9m)もあり、奥の「床」には狩野左京による「桐と鳳凰」の障壁画が描かれていました。また北側には天皇家や将軍家を迎える際に使用する「上々段の間」がありました。
 ~ パンフレット引用 ~

 
  仙台城大広間跡の写真
仙台城大広間跡

 
    伊達政宗
 生誕:永禄10年(1567)
 死没:寛永13年(1636)
 出羽国と陸奥国の武将。伊達氏第17代当主。仙台藩の初代藩主である。
 幼名は梵天丸。没後は法名から貞山公と尊称された。幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し、隻眼となったことから後世「独眼竜」の異名がある。
 発掘された頭骨等復元した結果、身長159cm、血液型B型。後頭部が張り出し、前頭部が膨らんだ形。寛永13年江戸桜田屋敷で没す。享年70歳。死因は食道噴門癌および腹膜炎。
 ~ パンフレット参考引用 ~

 
 
  伊達政宗騎馬像の写真
伊達政宗騎馬像

 
  史跡仙台城跡の写真
史跡 仙台城跡

 
   仙台城の歴史
1600 (慶長 5年)
 政宗、千代を仙台と改め、城普請の縄張りを行う
1601 (慶長 6年)
 政宗、仙台城普請を開始する (築城を開始)
1603 (慶長 8年)
 政宗、仙台城に入城する
1610 (慶長15年)
 仙台城大広間をが完成する
1616 (元和 2年)
 地震により石垣・櫓が被害を受ける
1627 (寛永 4年)
 幕府により仙台屋敷(若林城)の造営を許される
  (翌年11月完成)
1638 (寛永15年)
 二の丸の普請を開始 (翌年6月完成)
1646 (正保 3年)
 地震により石垣が崩れ、櫓が倒壊する
1668 (寛文 8年)
 大地震、仙台城本丸石垣が崩れる
1683 (天保 3年)
 仙台城本丸石垣修復なる
1688 (元禄元年)
 元禄年間の二の丸改造 (1700年頃まで)
1804 (文化元年)
 雷火のため二の丸全焼
1805 (文化 2年)
 周宗、二の丸再建に着手 (文化6年4月完成)
1868 (明治元年)
 仙台藩降伏
1871 (明治 4年)
 東北鎮台(後の仙台鎮台)を仙台城二の丸に移す
1931 (昭和 6年)
 大手門(入母屋本瓦葺櫓門)・脇櫓を国宝指定
1945 (昭和20年)
 仙台空襲。大手門・脇櫓、巽門焼失
1963 (昭和38年)
 大手門脇櫓建設着工(昭和42年完成)
1997 (平成 9年)
 石垣修復工事に伴う仙台城本丸跡発掘調査開始
2003 (平成15年)
 仙台城跡史跡指定
2004 (平成16年)
 仙台城本丸北壁石垣修復工事完成
2011 (平成23年)
 東日本大震災により、 石垣や土塀が被災
2015 (平成27年)
 東日本大震災石垣復旧工事完了
 ~ パンフレット引用 ~

 
  パンフレットの写真
パンフレット

 
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