嵐山町ぶらり旅
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班溪寺の写真  班溪寺 (はんけいじ) 

 曹洞宗の寺で威徳山班溪寺という。この寺の梵鐘には、「木曽義仲 長男 清水冠者源義隆為 阿母威徳院殿班溪妙虎大姉 創建スル所也」の文字が記されています。
 つまり、母の妙虎大姉(山吹姫)が吾子 義高が11歳の時、入間川原で頼朝の命を受けた堀藤次に斬られた菩提を弔ってこの寺を建てました。
 
班溪寺の梵鐘の写真  班溪寺の梵鐘

 仁平3年(1153)に源義賢が武蔵国大蔵に館を構えて鎌形に下屋敷を設け、小枝御前を住まわせ、生まれたのが義仲(幼名 駒王丸)です。
木曽義仲公願彰碑の写真  班溪寺 木曽義仲公願彰碑

 「木曽義仲公願彰碑」は木曽義仲の遺徳を偲び、その業績を讃えるため、鎌形の郷民により建立されました。
山吹姫の墓の写真  班溪寺 山吹姫の墓 

 山吹姫は木曽育ちの娘。義仲の室として幾度かの合戦に従軍しました。建久元年(1190)11月22日にここに寂す。
鎌形八幡神社の写真  鎌形八幡神社

 鎌形八幡神社は、平安時代初期、延暦年間に、坂上田村麻呂が九州の宇佐八幡宮の御霊をここに迎えて祀ったのが始まりと言われています。武門、武将の神として仰がれ、「源頼朝及び尼御前の信仰ことのほか厚く」と縁起の中にもあります。
鎌形八幡神社の写真  鎌形八幡神社

 正面の建物は拝殿を兼ねた覆屋で、本殿はその中に納められています。
 本殿は簡素な一間社流造りで、装飾的な彫刻は正面扉両脇・脇障子・蟇股(かえるまた)・向拝木鼻・向拝蟇股などに限られています。彩色もこの彫刻部分にのみ施されています。
 本殿の建立は寛延2年(1749)。何度かの修理がされているとも思われます。
鎌形八幡神社 源義仲産湯の清水碑の写真  鎌形八幡神社
 木曽義仲産湯の清水


 鎌形にはかつて七清水と呼ばれた湧き水がありました。今では7つのうちのいくつかは涸れてしまっています。
 鎌形神社の境内にはある水屋もそのひとつ。そばには「木曽義仲産湯の清水」と刻まれた石碑が建っています。
鎌形八幡神社 源義仲産湯の清水の写真  鎌形八幡神社
 木曽義仲産湯の清水

 鎌形八幡神社の縁起には、木曽義仲はこの七清水の水で産湯につかったとされています。
縁切り橋の写真  縁切り橋
坂上田村麻呂にまつわる
縁切り橋の話
源義賢の墓の写真  源義賢の墓

 義賢は源為義の次子(長子は義朝)で近衛天皇が東宮の時に仕え、帯刀の長となったので、帯刀先生(たてわきせんじょう)と称され、その後東国に下り、上野国多胡館(群馬県多野郡吉井町)を本拠としたので多胡先生とも称されました。
 更にその後、嵐山町(大蔵館)に移住し武蔵国、上野国に勢力を振るいました。
大蔵館跡の写真  大蔵館跡

 大蔵館は、源氏の棟梁六条判官源為義の次子、東宮帯刀先生源義賢の居所で、都幾川をのぞむ台地上にありました。現存する遺構から推定すると、館の規模は東西170メートル、南北200メートル余りだったと思われます。館のあった名残りか、館跡のある地名は御所ヶ谷戸及び堀之内と呼ばれています。現存遺構としては、土塁・空堀などがあり、かつては、高見櫓の跡もありました。
大蔵神社の写真  大蔵神社

 館跡地内には、伝城山稲荷と大蔵神社があります。
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