嵐山町ぶらり旅

「縁切り橋」の話

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 征夷大将軍の坂上田村麻呂が、軍勢を引きいて、ここ嵐山町に滞在、岩殿の悪龍退治の準備に忙殺されていました。そこへ、将軍の奥方が京都から心配のあまり訪ねてきました。しかし、坂上田村麻呂は「上の命令で、征夷大将軍として派遣されている私に、妻が尋ねるとは何ごとだ。逢わぬぞ」と大声で怒鳴りました。いくら家来がとりなしても許しませんでした。
 翌朝、奥方は京へ帰る出発のためこの地へ来ました。将軍はこの坂下まで来て、「大命を受けて出陣しているのに追って来るとは何ごとだ。今より縁を切る。早々に立ち去れ。」と宣言しました。
 それからこの橋は「縁切り橋」と言われるようになりました。

 婚礼の時、この地の人は縁起をかついで、今でも新郎新婦を通さないようにしているそうです。
          
縁切り橋の写真