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川越城本丸御殿 川越城は関東管領の扇谷上杉持朝が関東を支配する拠点として、長禄元年太田道真・道灌に築城させた平城である。 |
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川越城本丸御殿 この城は、上杉氏が六代八十一年間、次いで北条氏四代五十四年間の居城となり、戦国争乱の拠点となった。 徳川家康関東入国後は、譜代・親藩大名の居城となった。 |
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川越城本丸御殿 明治維新後次第に解体され、大部分は住宅地や公園になってしまったが、寛永元年建造の本丸御殿の玄関と大広間が残り、往時を偲ぶことができます。 |
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川越城本丸御殿 家老詰所 家老詰所は明治6年上福岡市の福田屋の分家に移築され昭和62年まで母屋として使用されていた。これをもらいうけ修理復元したものである。 |
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富士見櫓跡(ふじみやぐらあと) 御嶽神社が祀られているこの高台は、かつては川越城の富士見櫓が建てられていたところ。櫓は、合戦の際に物見として、あるいは防戦の足場として、城壁や城門の高い場所に設けられた。 |
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川越城跡碑 富士見櫓跡に建てられていた碑。 富士見櫓は、築城当初に本丸西南の隅櫓として建てられた三重の櫓で城内第一の高所として天守閣の代わりをつとめた。昔は、名前のとおり富士山までも望めたという。 |
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東照宮 拝殿 徳川家康を祀る東照宮は、家康の死後その遺骸を久能山から日光に移葬した元和三年三月、途中、喜多院に四日間逗留して供養したので、天海僧正が寛永十年1月にこの地に創建した。 |
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東照宮 東照宮は当初から独立した社格を持たず、喜多院の一隅に造営されたもので、日光、久能山の東照宮とともに、三大東照宮の一つと数えられている。 |
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