日高市ぶらり旅

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 前のページ 次のページへ  寄居小唄の碑の写真
鹿台堰の写真  鹿台堰(ろくだいせき)

 鹿台堰には、魚道が設けられています。
 魚道とは、「魚が堰の上流にあがれるようにつくった水路」です。魚道は、川の魚を増やすため、大切なものです。
巾着田の曼珠沙華の写真  巾着田 曼珠沙華 
 巾着田周辺は、今から約1200年ほど前に高句麗から渡ってきた高句麗人が住みつき、大陸文化を取り入れた高度な生活を営んでいた場所です。水田を作ることは大変なことでしたが、高句麗人は高麗川が蛇行としいることを巧みに利用し、川をせき止め、その内側にあふれた水を導き水田にしました。その形が山の上から見ると巾着の形をしていたことから巾着田と呼ばれるようになりました。
巾着田の曼珠沙華の写真  巾着田 曼珠沙華
 巾着田周辺の高麗川の岸辺はヒガンバナの群生地で、その規模は長さ約600m、幅約50mにもわたり、全国的にも最大級のものと言われています。群生した成因の定説はありませんが、種を付けず球根で増える性質から一般的には河原にあるヒガンバナは上流から流されてきた球根が自生して群落をなすと言われています。
巾着田の曼珠沙華の写真  巾着田 曼珠沙華

 ニセアカシアの林の緑と高麗川の清流と相まって美しさをいっそう引き立てています。「ヒガンバナ」の語源は秋の彼岸の頃に咲くことにより、「曼珠沙華」は赤花を表す梵語によるものです。
 あいあい橋の上から撮ったもので左上に高麗川が見えます。
高麗錦の万葉歌碑の写真  高麗錦の万葉歌碑 

 高麗錦 紐解き放けて 寝るが上に 
 何と為ろとかも あやに愛しき

 この歌は万葉集の東歌の一首で「高麗錦の紐をといて共寝もしたのに、まだ恋しさが増す。この上、一体何をすればよいのか。ふしぎなほどに愛らしいことよ」という意味だそうです。
満蔵寺の写真  南憧山持地院 満蔵寺 

 開山した僧の名は慶順といい、年代は明らかでない。慶安年間(1648~1652)に地蔵堂領として時の将軍より御朱印三石を賜りました。また、地蔵堂は昔から開かずの扉と言われ、この中に保存されている地蔵菩薩は高さ約27㎝運慶の作と伝えられています。
諏訪神社の写真  諏訪神社  

 諏訪神社の獅子舞は江戸時代信州下諏訪より伝わったとの伝承があります。竿がかり等における動作が豪壮で迫力ある舞です。日高市の民族文化財(無形民族文化財)に指定されています。
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