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2018年1月27~28日 100名城めぐり ( 二条城 )


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みつかる君




みつかる君と行く
時空の旅


  妙心寺・相国寺・西本願寺・神泉苑・二条城
南禅寺・知恩院・八坂神社・伏見稲荷
 
 
 2018年1月27日(土)、28日(日)の1泊2日で京都をめぐる東海ツアーズの旅行に参加する。往復の新幹線(座席指定)と京都市内のホテル宿泊、京都市内観光「ぷらっとバス京都号」の乗車券が付いている。基本2日間は自由行動になる。
 1月27日、午前9時47分東京駅発「のぞみ315号」に乗車。12時5分に京都駅に到着する。
 
往路新幹線乗車きっぷの写真

 京都駅で昼食をとり、早速市内観光へ。ツアーに付いている「ぷらっとバス京都号」を利用する。妙心寺と相国寺をめぐるコースだ。当然だが、バスに乗っているだけで、目的地を廻ってくれる。非常に楽だ。お寺の見学は自由。自分の好きに見て廻り、出発時間までにバスに戻ればよい。妙心寺と相国寺とりっぱなお寺を見学。

  妙心寺三門の写真
妙心寺山門

 
  妙心寺唐門と大方丈の写真
妙心寺唐門と大方丈

 
    臨済宗相国寺派大本山
  相国寺

 足利三代将軍義満が、後小松天皇の勅命をうけ、約10年の歳月を費やして明徳3年(1392)に完成した一大禅苑で、夢窓国師を勧請開山とし、五山の上位に列せられる。その後応仁の乱の兵火により諸堂宇は灰燼に帰したが、度重なる災禍にもかかわらず当山は禅宗行政の中心地として多くの高僧を輩出し、室町時代の禅文化の興隆に貢献した。後に豊臣氏の外護を受けて、慶長14年(1605)豊臣秀頼が現在の法堂を建立し、慶長14年には徳川家康も三門を寄進した。他の堂塔も再建したが天明8年(1788)の大火で法堂・浴室・塔頭九院のほかは焼失。文化4年(1807)に至って、桃園天皇皇后恭礼門院旧殿の下腸を受けて開山塔として建立され、方丈・庫裏も完備されて壮大な旧観を復するに至った。現在は金閣・銀閣両寺をはじめ九十余ヵ寺を数える末寺を有する臨済宗相国寺派の大本山である。
 法堂(重文)は桃山時代の遺構でわが国現存最古の法堂、一重裳階付入母屋造りの唐様建築で本尊釈迦如来および脇侍は運慶作。天井の蟠龍図は狩野光信(永徳の子)筆。法堂北の方丈は勝れた襖絵を有し、裏庭は京都市指定名勝となっている。開山塔内には開山夢窓国師像を安置。開山塔庭園は山水の庭と枯山水平庭が連繁する独特の作庭である。
 ~ パンフレット引用 ~ 
 
  相国寺の写真
相国寺


 
  相国寺庫裡の写真
庫裡


 
    庫裏
 庫裏は「香積院」と称し、大きい破風や壁面が特に印象的である。
 ~ パンフレット引用 ~

 
  相国寺鐘楼の写真
鐘楼


 
    鐘楼
 鐘楼は一名「洪音楼」といい、天保14(1843)再建のものである。
 ~ パンフレット引用 ~

 
  相国寺浴室の写真
浴室
 
    浴室 (宣明)
 浴室は宣明と呼ばれ、1400年頃創建されたとみられる。現在のものは、慶長初年(1596)に再建されたものである。
 蒸気浴をしながら、ひしゃくで湯を取り、身体に注ぐ掛け湯式の入浴法をあわせて行う方式であった。
 ~ パンフレット引用 ~ 

 
 
 市内のホテルにチェックイン。
 夜は、夕食がてら錦市場、錦天満宮、新京極をぶらぶら。
 
 
 
錦天満宮の御神牛の写真
錦天満宮 御神牛(撫で牛)


夜景の京都タワーの写真
京都タワー
 
 
 旅行2日目

 いよいよ、今日は二条城に行く。
 午前7時30分、ホテルをチェックアウト。早朝の京都を歩く。
 西本願寺に到着。まだ7時45分。すがすがしい空気が気持ちよい。
 

  本願寺の由来、歴史、親鸞聖人の生涯

 本願寺は、浄土真宗本願寺派の本山です。正式には龍谷山本願寺といい、一般には西本願寺とも呼ばれています。浄土真宗は、鎌倉時代の中頃に親鸞聖人(1173~1263)によって開かれました。
 親鸞聖人は1173(承安3)年に京都日野の里でお生まれになり、9歳で青蓮院にて出家得度されました。
 その後、比叡山で学問修行に励まれましたが、29歳の時、師である源空(法然)聖人のお導きによって阿弥陀如来の本願を信じ「南無阿弥陀仏」という念仏の教えに帰依する身となられました。
 35歳の時、念仏弾圧により越後に流罪となった後、妻の恵信尼さまと共に関東に移って念仏の教えを弘められ、晩年は京都で『教行信証』等多くの著述に力を注がれ、1263年1月16日(弘長2年11月28日)に90歳で往生されました。
 親鸞聖人の滅後、娘の覚信尼さまは、聖人の遺弟たちと共に京都東山大谷に廟堂を建て、 聖人の遺骨と影像を安置しました。やがてこの廟堂が本願寺となり、宗門の礎となりました。
 その後、中興の祖である第8代宗主蓮如上人(1415~1499)の時には教線が拡大され、さらに第11代宗主顕如上人(1543~1592)の時には、本願寺の寺基が現在の京都堀川六条に定められました。
 境内には、阿弥陀堂、御影堂の両堂(国宝)をはじめ、唐門や書院、飛雲閣などの国宝や、経蔵や手水合などの重要文化財があり、1994(平成6)年12月には「古都京都の文化財」として、「世界遺産」に登録されています。
 ~ パンフレット引用 ~

  本願寺 阿弥陀堂の写真
阿弥陀堂

    阿弥陀堂 【国宝】
 名称:本願寺本堂。内陣中央に阿弥陀如来像が安置されていることから阿弥陀堂と称しま す。
 両脇掛:インド、中国、日本の七高僧のうち、龍樹菩薩・天親菩産・曇鸞大師・道綽禅師・善導大師・源信和尚の六師
 両余間:源空(法然)聖人の影像、聖徳太子の影像
 再建:1760(宝暦10)年
 大きさ:東西42m、南北45m、高さ25m
 外陣には285枚の畳が敷かれ、800名以上が一度に参拝することができます。
 ~ パンフレット引用 ~

  本願寺 御影堂の写真
御影堂

    御影堂 【国宝】
 名称:内陣中央に親鸞聖人の御真影(木像)が安置されていることから御影堂と称します。  両脇掛:本願寺歴代宗主の彫像
 両余間 : 十字名号
     (帰命尽十方無光如来)
     九字名号
     (南無不可思議光如来)
 再建:1636(寛永13)年
 大きさ:東西48m、南北62m、高さ29m
 外陣は441枚の畳が敷かれ、1,200名以上が一度に参拝可能。227本の柱で約115,000枚の瓦を支える世界最大級の木造建築物です。
 ~ パンフレット引用 ~

  本願寺 唐門の写真
唐門

    唐門 【国宝】
 桃山時代の伏見城の遺構といわれ、豪華な装飾彫刻を全体に施した四脚門です。
 建築細部にみられる彫刻は、眺めていると日の暮れるのを忘れるといわれ、「日暮門」とも呼ばれています。
 ~ パンフレット引用 ~

  本願寺 太鼓楼の写真
太鼓楼

    太鼓楼
  - 新選組ゆかりの地 -
 新選組は、「池田屋騒動」(元治元〈1864〉年)以降隊士が増え、壬生の屯所では狭くなったこともあり、慶応元(1865)年3月10日、屯所を壬生から本願寺に移し、境内に「新選組本陣」の看板を掲げ、北東にあった北集会所と太鼓楼を使用しておりました。
 本願寺は、長州との深い縁もあり、幕末の尊皇攘夷運動のなかで幕府と対立していた長州藩士たちが、何かにつけて本願寺を頼りにしていたため、新選組は本願寺のなかに本拠を移すことによって一石二鳥の効果をねらったものでありました。
 新選組は、境内で大砲を轟かせたり、実弾射撃をおこなったり、乱暴を繰り返したため参拝の門信徒や僧侶らを震撼させる毎日であったそうであります。新選組の活動期間は6年ぐらいであり、大部分が暗殺されていった中、結成時からの元隊士、島田魁が明治維新後、本願寺の守衛を勤め、終生お念仏を喜びながら太鼓番をしたという話が伝わっております。明治6(1873)年、北集会所は姫路市の(亀山)本徳寺に一部移設されたため、現在の本願寺に新選組の足跡を見るのは太鼓楼だけであります。
        本願寺
 ~ 現地案内板引用 ~


 
 太鼓楼の近くのバス停「西本願寺前」から西加茂車庫前行のバスに乗り、二条城前で降りる。開城時間まで時間があるので、近くの神泉苑に行くことにした。神泉苑を散策後、二条城に戻る。
  神泉苑の写真
神泉苑

   二条城に入城して、すぐ大休憩所に向かう。ここがスタンプ設置場所になる。無事、スタンプをゲット。ややインクが薄いのが残念。
 二条城は修学旅行で来て以来。鴬張りの廊下など懐かしい。
 二条城見学後、二条城前駅から地下鉄東西線で蹴上駅に行く。駅を出てすぐ、「ねじりまんぽ」のトンネルをくぐり南禅寺へ。

  ねじりまんぽの写真
ねじりまんぽ
 
  南禅寺の写真
南禅寺
 
南禅寺 水路閣の写真
水路閣
 
  水路閣
 疏水事業は、京都府知事北垣国道の発意により、田辺朔郎工学博士を工事担当者として、 明治18年に起工され、同23年に竣工した。
 水路閣は、この疏水事業の一環として施工された水路橋で、延長93.17m、幅4.06m、水路幅2.42m、煉瓦造、アーチ構造の優れたデザインを持ち、京都を代表する景観の一つとなっている。
 また、ここから西500mにあるインクラインは、高低差のある蹴上の舟だまりと南禅寺の舟だまりを結ぶ傾斜地に上下2本のレールを敷き、艇架台により舟を運ぶ施設で、当時の舟運による交通事情がよくうかがえる。
 いずれも、西欧技術が導入されて間もない当時、日本人のみの手で設計、施工されたもので、土木技術史上、極めて貴重なものであり、昭和58年7月1日に「疏水運河のうち水路閣及びインクライン」として京都市指定史跡に指定された。
 また、平成8年6月には、この水路閣、インクラインに加え、第1疏水の第1・第2・第3隧道の各出入口、第1竪坑、第2竪坑、明治36年に架設された日本初の鉄筋コンクリート橋(日ノ岡第11号橋)、同37年架設の山ノ谷橋などが日本を代表する近代化遺産として国の史跡に指定された。
        京都市
 ~ 現地案内板引用 ~

   南禅寺から祇園四条駅まで歩くことにする。蹴上インクライン、知恩院、円山公園、八坂神社を経て四条通りを通って祇園四条駅を目指す。
  知恩院の写真
知恩院
 
  円山公園の写真
円山公園
 
  円山公園の由来
 平安の昔、今の円山公園一帯は一面真葛(まくず)や薄(すすき)などが生い茂り真葛ヶ原と呼ばれていました。鎌倉時代、慈円僧正が
 「わが恋は松を時雨の染めかねて
   真葛ヶ原に風さわぐなり」(新古今集)
と詠んでから一躍和歌の名所となり、以来多くの歌にうたわれました。江戸時代に入ると安養寺塔頭の六阿弥(左阿弥、也阿弥などいずれも何阿弥と称した六坊)が席貸を始め、次第ににぎやかさを増してきました。
 この頃から「慈円山安養寺」の「円山」がこのあたりの呼名となったと伝えられます。
 明治19年10月、京都府は円山一帯を公園に指定し、同22年12月市制が施行されると同時に京都府から京都市の管理に移されました。その後何度か拡張工事を行い、大正2年、平安神宮神苑をはじめ無鄰菴、碧雲荘などの名園を創り出した造園家、小川治兵衛氏の手により中央に池を配した回遊式日本庭園に造り変えられたのが現在の円山公園の姿です。
 ~ 現地案内板引用 ~

  八坂神社の写真
八坂神社

 
   祇園四条駅から京阪本線で伏見稲荷駅まで行く。
 伏見稲荷を参拝する。
 
  伏見稲荷の写真
伏見稲荷

 
  伏見稲荷の写真
伏見稲荷


 
  伏見稲荷根上の松の写真
根上の松

 
    根上りの松
 根上りの松は一方の根が地表に持ち上がっている形状から、往古より「根上りの松」と呼ばれ不思議なご神徳があると伝えられています。
 商売をする人、特に証券会社や株に関係する人々からは値(根)が上がるのを待つ(松)と言われ、縁起が良い松として篤い信仰を得ています。
 又、素朴な庶民の信仰として持ち上がった松の根が、人々がひざまずいてお祈りする姿に似ていることから「膝松さん」とも呼ばれ、松の根元をくぐったり、木の肌を撫で身体の痛むところを撫でると、腰や膝の痛みが治るとも言い伝えられています。
 ~ 現地案内板引用 ~

 
  伏見稲荷千本鳥居の写真
千本鳥居

 
   伏見稲荷参拝後は、最寄のJR奈良線、稲荷駅から乗車し京都駅に出る。
 予定していたコースも終了。
 京都駅発15時45分、のぞみ236号で帰路につく。

 
  新幹線の切符の写真

 
 
パンフレットと入場券の写真
パンフレット&入場券
 
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くつ
1月27日の歩数
24,580歩
15.98km

1月28日の歩数
27,418歩
17.82km




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