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078 丸亀城 

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  丸亀城  
 
 場所 : 香川県丸亀市 (Googleマップ)
 築城年代 : 慶長2年(1597)、寛永20年(1643)
 築城者 : 生駒親正、山﨑家治、京極高和
 主要城主 : 生駒氏、山﨑氏、京極氏
 スタンプ設置 : 丸亀城天守

 
 
   
史跡丸亀城跡
 ( 昭和28年国指定・史跡 )
 標高66 m の亀山に築かれた平山城。別名亀山城とも呼ばれています。本丸・二の丸・三の丸・帯曲輪・山下曲輪があり、東西約540 m 南北約460 mの内堀内204,756㎡が史跡範囲です。「石の城」と形容されるその名のとおり、丸亀城は石垣の名城として全国的に有名です。
 ~ パンフレット引用 ~
 
 
丸亀城の地図画像


 
丸亀城と堀の写真
丸亀城と堀


  丸亀城の写真
史跡丸亀城址
 
 
   大手一の門・二の門
 内堀の北側中央部に位置しています。城内側の櫓門を一の門、掘端の高麗門を二の門と呼びます。寛文10年(1670)頃の京極氏のときに完成しました。一の門は、楼上に太鼓を置き、城下に時を知らせたことから、太鼓門とも呼ばれています。
 ~ パンフレット引用 ~
 
  大手一の門、二の門、天守の写真
 大手一の門・二の門
 
 
大手二の門の写真
城内から見た大手二の門

 
  大手一の門の写真
大手一の門
 

   見返り坂
 大手門から山上に向かう山道は見返り坂と呼ばれています。
 ~ パンフレット引用 ~
 
見返り坂の写真
見返り坂と石垣
 
 
  石垣の美
 三の丸北側の石垣は丸亀城の石垣の中で最も高く、20m以上の城壁が続きます。櫓かどぶの石垣は算木積みされましたされた美しい曲線美で扇の勾配と呼ばれています。
 ~ パンフレット引用 ~
 
 
  石垣の見所
 丸亀城の石垣は、主に築城技術が最も発達した山﨑氏のときに築かれました。城内には打ち込みハギをはじめ、野面積み、切り込みハギなど様々な石積みが見られます。
 また、石垣のなかには、「△」や「田」など刻印と呼ばれる記号が見られます。石を割った矢穴の跡や石の表面をきれいに加工したノミの跡などもあります。
 ~ パンフレット引用 ~
 
  石垣の写真
石垣
 

   本丸
 山上の最高所が本丸です。本丸には、天守の他に隅櫓・渡櫓・土塀が石垣上に巡っていました。 礎石、排水路を一部復元しています。
 3層3階の現存木造天守です。高さ約15m、1階北側には、石落や狭間があります。唐破風や千鳥破風で意匠を凝らしています。この天守は、四国内で最も古く万治3年(1660)に完成しました。日本一小さな現存木造天守です。
 ~ パンフレット引用 ~
 
丸亀城の写真
丸亀城天守

 
  天守から見た瀬戸内海方面の写真
天守から見た瀬戸内海方面
下(城内)には大手一の門・二の門


 
  丸亀城址水路跡の写真
丸亀城址水路跡 (丸亀郵便局脇)
( 夜のため写真が暗いです。 )

 
   
  丸亀城址水路跡
 ここにある水路は江戸時代末期のものと推定され、丸亀郵便局下層遺跡の発掘調査から出土されたものです。丸亀城外堀から東側へ約5.5メートル離れたところから、南北方向に伸びており、外堀に抜ける石組暗渠と交差する所に正方形の石組升を配しています 。
 この升の長さは約0.86mあり、四方ともそれぞれ違った組み方をしています。
 水路の幅は約0.3mあり升から北へ約9m、南へ約4.5m出土しましたが、南北両方向にもっと延びていたようです。
 この石組升の南側取壊しの時に明治期の磁器が石の間に混ざっていたことから、明治期に再築されたものと推定されます。また、今回の発掘調査で、この他に江戸時代中期から昭和にかけての遺構、遺物が数種出土されました。
 ~ 現地案内板引用 ~
 
 
パンフレットと入場券の写真
パンフレット&入場券
 
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丸亀城のスタンプ画像
丸亀城のスタンプ


カバンとカメラのイラスト
丸亀城への旅
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