|
名古屋城 |
|
|
場所 :
愛知県名古屋市 (Googleマップ)
築城年代 : 慶長15年(1610)
築城者 : 徳川家康
主要城主 : 徳川氏
スタンプ設置 : 正門改札所、東門改札所、総合案内所
|
|
|
名古屋城の生い立ち
関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、慶長14年(1609)豊臣方への備えとして名古屋城の築城と清須から新城下への街まるごとの引っ越しを決定。この新たに造られた基盤割の街が現在の名古屋の原型となり、町や橋の名前も受け継がれています。
慶長15年(1612)名古屋城築城にあたって徳川家康は、加藤清正・福島正則ら西国大名20家に普請(土木工事)を命じました。これを天下普請と言います。天守や櫓の作事(建築工事)は小堀遠州・中井正清らに命じられ、慶長17年(1612)ほぼ完成しました。尾張初代藩主として家康九男の義直が入り、以後名古屋城は御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄えました。
維新後も名古屋離宮としてその美しいたたずまいを誇った名古屋城は、昭和5年(1930)、城郭建築における初めての国宝に指定されましたが、昭和20年(1945)の名古屋空襲によって本丸のほとんどを焼失しました。しかし、名古屋のシンボルとして天守の再建を望む市民の声は、日に日に高まり、昭和34年(1959)ついに天守は再建されました。
名古屋城本丸御殿は、文献や古写真、実測図、障壁画など多数の豊富な資料が残っており、史実に忠実な復元が可能であるため、平成21年(2009)に復元工事に着手しました。全体の公開は平成30年(2018)を目指しています。
~ 2017年にいただいたパンフレット引用 ~ |
|
|
![名古屋城の地図](044_nagoya/map_nagoya01.gif) |
|
|
![名古屋城入口の写真](044_nagoya/P1040335.JPG)
名古屋城入口
|
|
|
![正門の写真](044_nagoya/P1040337.JPG)
正門
|
|
|
![西南隅櫓の写真](044_nagoya/P1040340.JPG)
西南隅櫓 (左奥が天守)
|
|
|
西南隅櫓
(未申櫓)
規模・構造は東南隅櫓と同じですが、「石落し」の破風の形が異なっています。平成22年度から解体修理を行ってきましたが、平成26年10月で完成完了しました。
~ パンフレット引用 ~ |
|
|
![東南隅櫓の写真](044_nagoya/P1040341.JPG)
東南隅櫓
|
|
|
東南隅櫓
(辰巳櫓)
本丸の南東隅にある屋根二重・内部三階の櫓。出窓には「石落し」が設けられています。かつては武具が収められていました。
~ パンフレット引用 ~
|
|
|
![本丸御殿入口の写真](044_nagoya/P1040342.JPG)
本丸御殿
|
|
|
名古屋城本丸御殿
この建物は、尾張藩主の住居・政庁として慶長20年(1615)に建てられた書院造を復元したものです。
御殿は木曽地方などで育った天然の桧をたくさん使ってつくられています。桧の香りが漂う建物に入ると、トラの障壁画が見る者を圧倒します。これは復元模写した作品で、描かれた当時の色彩を復元しています。襖の引手金具や長押の釘隠など、いろいろな所にある金具も部屋の威厳を高めています。表書院は名古屋城本丸御殿で一番広く、格式を重視した建物です。玄関では竿縁天井だったのが、ここからは格天井という天井に変わります。部屋にも差をつけて、藩主の座る部屋「上段之間」は床や天井を一段高くし、床や違棚、付書院、帳台構という座敷飾があります。対面所上段之間の格天井は二重折上げ小組格天井で格縁には黒漆を施し、天井板には金箔が押してあります。
御殿の中にある様々な形式をぜひご覧いただき、今から400年前の空間をお楽しみください。
~ パンフレット引用 ~
※ 本丸御殿内は、フラッシュ撮影禁止のため、すべてフラッシュは点けずに撮影しています。
|
|
|
![虎の障壁画の写真](044_nagoya/P1040343.JPG)
虎の障壁画
|
|
|
![障壁画の写真](044_nagoya/P1040344.JPG)
虎の障壁画
|
|
|
![表書院の座敷の写真](044_nagoya/P1040347.JPG)
表書院の座敷飾
|
|
|
表書院の座敷飾
格式を重んじる表書院の上段之間。華麗な花鳥画や床、清楼棚、付書院、帳台構があるほか、天井は折上げ小組格天井として威厳を示しています。
~ パンフレット引用 ~
|
|
|
![対面所上段之間の写真](044_nagoya/P1040351.JPG)
対面所上段之間
|
|
|
対面所上段之間
上段之間には京都の風景が描かれており、藩主の私的な対面の場に相応しい、落ち着いた空間が広がっています。
~ パンフレット引用 ~ |
|
|
![清正石の写真](044_nagoya/P1040352.JPG)
清正石
|
|
|
清正石
名古屋城で最大の石垣石材。
ここ本丸搦手枡形の石垣は
黒田長政の担当であったが、巨石であるがゆえ普請の名手加藤清正が積み上げたと伝えられ、清正石と呼ばれてきた。
~ 現地案内板引用 ~
|
|
|
![天守の写真](044_nagoya/P1040355.JPG)
天守
|
|
|
![天守の写真](044_nagoya/P1040358.JPG)
天守
|
|
|
![天守の写真](044_nagoya/P1040359.JPG)
天守
|
|
|
![金鯱の写真](044_nagoya/P1040360.JPG)
金鯱
|
|
|
金のシャチ
鯱は空想上の生き物で、水を呼ぶと言われていることから火除けのまじないとされてきました。名古屋城の創建時の金鯱は、徳川家の権力・財力を誇るもので、貼られた金の量は慶長大判で1940枚といわれています。
~ パンフレット引用 ~
|
|
|
![不明門の写真](044_nagoya/P1040365.JPG)
不明門
|
|
|
不明門 (焼失再建)
土塀の下に設けられた門本丸北側と御深井丸をつなぐ門であるが、厳重に施錠され「あかずの御門」と呼ばれていた。左右には槍の穂先を並べた剣塀が続いている。昭和20年(1945)に焼失し、昭和五十三年に復元された。
~ 現地案内板引用 ~ |
|
|
![天守礎石](044_nagoya/P1040366.JPG)
天守礎石
|
|
|
天守礎石
昭和二十年(1945)に焼失した旧国宝天守の礎石。地階穴蔵の上に置かれており、巨大な天守を支えていた。長く焼け跡に残っていたが、天守閣再建にあたり、現在地に移し、かつての敷設状況を再現した。
~ 現地案内板引用 ~
|
|
|
![名古屋城のパンフレットと入場券](044_nagoya/nagoyajyou.jpg)
パンフレット&入場券 |
|
|
上に移動する |
|