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駿府城 |
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場所 :
静岡県静岡市 (Googleマップ)
築城年代 : 天正13年(1585)、慶長12年(1607)
築城者 : 徳川家康
主要城主 : 徳川氏
スタンプ設置 :
東御門券売所(月曜日休館:祝日・休日の場合は営業。12/29~1/3休館)
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![駿府城の地図](041_sunnpu/map_sunnpu.jpg)
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徳川家康公と駿府
今から650年ほど前の室町時代に今川範国が駿河国の守護に任ぜられ、以後駿河国は今川氏の領土の一つになります。
今川氏全盛期9代義元の時代に、徳川家康(幼名
松平竹千代)は人質として19歳までの12年間、駿府で生活しています。後に戦国大名、そして天下人へと成長していく過程で臨済寺の住職太原雪斎などから種々の教えを受けており、家康の人間形成の上で非常に重要な時期を駿府で過ごしています。
戦国争乱の中、永禄11年(1568)10代氏真は甲斐の武田信玄に攻められて掛川に落ち、駿府の町は焼き払われます。さらに、天正10年(1582)には徳川家康が駿府の武田勢を攻め、再び戦火に遭った中世駿府の町は、ほぼ壊滅状態になりました。
駿河国を領国の一つとした徳川家康は、天正13年から居城として駿府城の築城を始め、天正17年に完成させます。現在の二ノ丸以内の部分です。しかし、家康は翌年関白豊臣秀吉の命によって関東に移封(国替え)され、豊臣系の家臣中村一氏が城主となります。
豊臣秀吉亡き後、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、慶長8年(1603)征夷大将軍に任ぜられ江戸幕府を開きました。
慶長10年将軍職を2代秀忠に譲った家康は、その翌年駿府を「大御所政治」の拠点の地と定めて再び戻ってきました。天正期の駿府城を拡張(三ノ丸)修築し、
駿府の町割りや安倍川の治水事業に取りかかり、現在の静岡市の市街地の原型が造られたのです。
そして、家康自らは、晩年も「大御所」として天下の実権を掌握し、駿府は江戸を凌ぐ政治・経済・文化の中心としてその黄金時代を迎えたのでした。
~ パンフレット引用 ~
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![駿府城中堀の写真](041_sunnpu/DCIM0446.JPG)
駿府城 中堀
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![駿府城巽櫓の写真](041_sunnpu/DCIM0448.JPG)
駿府城 巽櫓
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巽櫓
巽櫓は、駿府城二ノ丸の東南角に設けられた三層二重の隅櫓で、十二支であらわした巽(辰巳)の方角に位置することから「巽櫓」と呼ばれました。駿府城には二ノ丸西南の角に「坤(未中)櫓」もありました。
櫓は戦闘時には戦闘の拠点となり、望楼、敵への攻撃、武器の保管などの役目をもっていました。
焼失後、寛永15年に再建された巽櫓は幕末近くの安政大地震によって全壊してしまったと考えられています。全国の城の櫓建築でも例の少ないL字型の平面をもち、駿府城の櫓の中では最も高く、“勝れた”櫓であったと言われています。
~ パンフレット引用 ~
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![巽櫓と東御門の写真](041_sunnpu/DCIM0449.JPG)
駿府城 巽櫓と東御門
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![東御門の写真](041_sunnpu/DCIM0450.JPG)
駿府城 東御門
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東御門
東御門は、駿府城二ノ丸の東に位置する主要な出入口でした。この門は二ノ丸堀(中堀)に架かる東御門橋と高麗門、櫓門、南および西の多聞櫓で構成される桝形門です。桝形門は要所に石落し、鉄砲狭間、矢狭間等をもつ堅固な守りの実戦的な門で、戦国時代の面影を残しています。
東御門の前が安藤帯刀の屋敷であったことから「帯刀前御門」、また、台所奉行であった松下浄慶にちなんで「浄慶御門」とも呼ばれ、主に重臣たちの出入口として利用されました。
慶長年間に築かれた東御門は寛永12年(1635)に天守閣、本丸御殿、巽櫓などと共に焼失し、寛永15年に再建されました。
今回の復元建物は、この寛永年間再建時の東御門・巽櫓の姿を目指し、日本の伝統的な木造工法によって復元したものです。
~ パンフレット引用 ~
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![巽櫓と東御門の立面図](041_sunnpu/ritumennzu.jpg)
巽櫓と東御門の東面立面図
(パンフレットより)
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![東御門の写真](041_sunnpu/DCIM0452.JPG)
東御門
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![駿府城の模型の写真](041_sunnpu/DCIM0456.JPG)
駿府城の模型
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![駿府城鯱鉾の写真](041_sunnpu/DCIM0455.JPG)
鯱鉾
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![徳川家康公と旗印の写真](041_sunnpu/DCIM0457.JPG)
徳川家康公と旗印
「厭離穢土欣求浄土」
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![駿府城公園の碑の写真](041_sunnpu/DCIM0453.JPG)
駿府城公園
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![徳川家康公の像](041_sunnpu/DCIM0458.JPG)
徳川家康公像
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![駿府城坤櫓の写真](041_sunnpu/DCIM0462.JPG)
駿府城 坤櫓
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坤櫓
坤櫓は、二ノ丸南西の隅にある櫓で、1階、2階は7間×7間、3階は5間×5間の広さがあり、2層3階の構造となっています。2階には堀側に石落としを設け、敵の侵入を防ぐ工夫がなされていました。櫓は、防御の拠点や見張り場などとして建てられますが、坤櫓には、槍
が保管されていることを記した古文書が存在し、武器庫としても機能していたことがわかります。
建物の復元は、宝暦年間(1750年代)の絵図資料を基に行なわれました。発掘調査では、橋の北東側の基底部分(櫓台)に打ち込みハギの技法で積まれた石垣が角部分で約2.5mの高さで確認されました。確認された石垣は、現在は埋め戻して保存されています。
~ 現地案内板引用 ~
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![パンフレットの写真](041_sunnpu/IMG_20210707_144335.jpg)
パンフレット&入場券控え
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