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040 山中城

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   山中城  
 
 場所 : 静岡県三島市 (Googleマップ)
 築城年代 : 永禄年間(1558~1570)頃
 築城者 : 後北条氏
 主要城主 : 後北条氏
 スタンプ設置 : 山中城跡売店前

 

山中城の地図

    史跡山中城跡
  (国指定史跡)
 山中城跡は、文献によると、小田原に本城のあった北条氏が、永禄年間(1558~1570)に築城したと伝えられる中世最末期の山城である。
 箱根山西麓の標高580mに位置する、自然の要害に囲まれた山城で、北条氏にとって、西方防備の拠点として極めて重要視されていたが、戦国時代末期の天正18年(1590)3月、全国統一を目指す豊臣秀吉の圧倒的大軍の前に1日で落城したと伝えられている。
 三島市は山中城跡の史跡公園化を目指し、昭和48年から発掘調査を行い、その学術的成果に基づく環境整備を実施した。その結果、本丸や岱崎出丸をはじめとした各曲輪の様子や架橋、箱井戸、田尻ノ池の配置など、山城の全容がほぼ明らかになった。特に障子堀や畝堀の発見は、水のない空堀の底に畝を残し、敵兵の行動を阻害するという、北条流築城術の特徴の一端を示すものとして注目されている。
 出土遺物には槍・短刀をはじめとする武器や鉄砲玉、柱や梁等の建築用材、日常生活用具等がある。なお三ノ丸跡の宗閑寺には、岱崎出丸で戦死した、北条軍の松田康長をはじめ、副将の間宮康俊、豊臣軍の一柳直末など両軍の武将が眠っている。
 ~ 現地案内板引用 ~

 
 
山中城跡の写真
山中城跡入口

 
    すり鉢曲輪
 山中城出丸の最先端を防衛する重要な位置にある曲輪である。そのためか、曲輪の構築方法も、本丸側の曲輪とはまったく異なり、中央部を凹ませて低くし中央からゆるやかな傾斜で土塁までたちあがり、中途から傾斜を強め土塁の頂部に達している。上方から見たようすが、すり鉢によくにているところから通称「すり鉢ぐるわ」とよんでいる。このくるわへの虎口【入り口】は南につくられているが、更に東側に接続して、幅8mの長方形の曲輪が、作られており、防備のための「武者だまり」と推定されている。
 ~ 現地案内板引用 ~

  すり鉢曲輪見張台
 出丸の先端に位置するこの見晴台は土塁上の一角をやや拡げて、土塁と兼用させたものである。すり鉢曲輪南側の樹木を低くすることにより、三島・沼津方面から韮山城まで手に取るように望見できる。見晴台直下北側の平坦な部分が堀の跡で未調査ではあるが、試掘の結果、非常に傾斜角が強く、この堀底から見晴台までは8m以上もあり、武具をつけた敵がよじのぼることは不可能な状況を呈していた。
 ~ 現地案内板引用 ~

 
  畝堀の写真
畝堀

 
    障子堀
 後北条氏の城には、堀の中を区画するように畝を掘り残す、いわゆる「障子堀」という独特の堀が掘られている。
 西ノ丸と西櫓の間の堀は、中央に太く長い畝を置き、そこから交互に両側の曲輪にむかって畝を出し、障子の桟のように区画されている。
 また、中央の区画には水が湧き出しており、溜った水は南北の堀へ排水される仕組みになっている。このように水堀と用水池を兼ねた堀が山城に作られることは非常に珍しく、後北条氏の城の中でも特異な構造である。
 ~ 現地案内板引用 ~

 
  障子堀の写真
障子堀

 
  障子堀の写真
障子堀

 
  山中城跡碑の写真
山中城跡

 
     二ノ丸虎口と架橋
 二ノ丸は東西に延びる尾根を切って構築された曲輪である。尾根の頂部に当たる正面の土塁から、南北方向に傾斜しており、北側には堀が掘られ、南側は斜面となって箱井戸の谷に続いている。この斜面を削ったり盛土して、山中城最大の曲輪二ノ丸は作られたのであるが、本丸が狭いのでその機能を分担したものと思われる。二ノ丸への入口は、三ノ丸から箱井戸を越えてこちら側へ渡り、長い道を上ってこの正面の大土塁(高さ4.5m)に突き当たり、右折して曲輪に入るようになっていた。
 また、二ノ丸と元西櫓の間の堀には、橋脚台が掘り残されており、四隅に橋脚を立てた柱穴が検出された。橋脚の幅は南北4.3m、東西1.7mで、柱の直径は20〜30cmであった。復元した橋は遺構を保護するため、盛土して本来の位置より高く架けられている。
 ~ 現地案内板引用 ~

  架橋
 発掘調査の結果、本丸と北ノ丸を結ぶ架橋の存在が明らかになり、その結果を元に日本大学の故・宮脇泰一教授が復元したのがこの木製の橋である。
 山中城の堀には、土橋が多く構築され、現在も残っているが、重要な曲輪には木製の橋も架けられていた。
 木製の橋は土橋と較べて簡単に破壊できるので、戦いの状況によって破壊して、敵兵が堀を渡れなくすることも可能であり、曲輪の防衛には有利である。
 ~ 現地案内板引用 ~

 
  二の丸と架橋の写真
二の丸と架橋

 
  山中城址の写真
山中城跡

 
    西の丸
 西の丸は3,400㎡の広大な面積をもつ曲輪で、山中城の西方防備の拠点である。
 西端の高い見晴台はすべて盛土をつみあげたもので、ここを中心に曲輪の三方をコの字型に土塁を築き、内部は尾根の稜線を削平し見張台に近いところから南側は盛土して平坦にならしている。
 曲輪は全体に東へ傾斜して、東側にある溜池には連絡用通路を排水口として、雨水等が集められるしくみである。
 自然の地形と人知を一体化した、築城術に、北条流の一端をみることができる。
 ~ 現地案内板引用 ~

  西の丸見張台
 西の丸見張台は下から盛土によって構築されたものである。
 発掘の結果、基底部と肩部にあたる部分を堅固にするために、ロームブロックと黒色土を交互に積んで補強していることが判明した。
 標高は約580mで、本丸の矢立の杉をはじめ、諸曲輪が眼下に入り、連絡・通報上の重要な拠点であったことが推定できる。
 ~ 現地案内板引用 ~

  西ノ丸堀
 西ノ丸堀は、山中城の西方防備の拠点である西ノ丸にふさわしく、広く深く築城の妙味を発揮しており、堀の末端は谷に連なっている。
 西櫓と西ノ丸の間は、中央に太い畝を置き、交互に両曲輪にむかって畝を出しているが、西ノ丸の北側では東西に畝をのばして堀内をより複雑にしている。
 このように複雑な堀の構造は、世に伝えられる「北条流堀障子」の変形であり、学術上の価値も高いものである。
 ~ 現地案内板引用 ~

  西櫓堀
 堀内には、ほぼ9m間隔に8本の畝が、堀の方向に対して直角に作られている。畝はロール層を台形に掘り残して作ったもので、高さは堀底から約2m、頂部の幅は約0.6mで丸みを帯びている。
 畝の傾斜度は50度から60度と非常に急峻である。平均した堀底の幅は2.4m、長さは中央で9.4m、堀底から西櫓までの高さは9mもある。
 現在は植栽されているが、四百年前はすべりやすいローム層が露出し樹木は全くなかったので、もし人間が堀に落ちれば、脱出することは不可能だったと推定できる。
 ~ 現地案内板引用 ~

 
  西の丸の写真
西の丸

 
  西の丸から望んだ写真
西の丸から望む

 
    北ノ丸跡
 標高583m、天守櫓に次ぐ本城第2の高地に位置し、面積も1,920㎡とりっぱな曲輪である。一般に曲輪の重要度は、他の曲輪よりも天守櫓により近く、より高い位置、つまり天守櫓との距離と高さに比例するといわれている。この点からも北の丸の重要さがしのばれる。
 調査の結果、この曲輪は堀を掘った土を尾根の上に盛土して平坦面を作り、本丸側を除く、三方を土塁で囲んでいたことが判明した。
 また、本丸との間には木製の橋を架けて往来していたことが明らかになったので、木製の橋を復元整備した。
 ~ 現地案内板引用 ~

  三の丸堀
 三の丸の曲輪の西側を出丸まで南北に走るこの堀は、大切な防御のための堀である。
 城内の各曲輪を囲む堀は、城の縄張りに従って掘り割ったり、畝を掘り残したりして自然地形を加工していたのに対し、三の丸堀は自然の谷を利用して中央に縦の畝を設けて二重堀としている。
 中央の畝を境に、東側の堀は水路として箱井戸・田尻の池からの排水を処理し、西側の堀は空堀として活用していたものである。
 この堀の長さは約180m、最大幅約30m、深さは約8mを測る。
 ~ 現地案内板引用 ~

  岱崎出丸
 この地は、標高547m~557m、面積24,000㎡におよぶ広い曲輪である。
 地名の岱崎をとり、岱崎城とよばれることもある。
 天正17年(1589年)秀吉の小田原征伐に備えて、各曲輪の修築と共に、この出丸の増築を始めたが、短期間のため完成できず、中途で放棄したようすが、発掘の結果諸所にあらわれたのも興味深いことである。
 この出丸を守ったのは、副将間宮豊前守康俊といわれ、壮絶な戦闘をくりひろげ全員が討死したと伝えられている。その墓は三の丸にある宋閑寺に苔むして建てられており、訪ずれる人の涙をさそっている。
 ~ 現地案内板引用 ~

  出丸御馬場堀
 堀内に畝が検出されたことから、西櫓堀・西の丸堀と同様畝堀であったと考えられる。
 畝の高さは、堀底から約2m、頂部の幅0.6m、馬の背のように丸みを帯び、堀をさえぎるように堀の方向に直角に造り出し、ローム層を台形に堀り残して造られたものである。
 畝の傾斜度は50度~60度の急峻で、平均した堀底の幅は約2m、堀底から曲輪までの高さは、平均9mにも及ぶ。
 ~ 現地案内板引用 ~

 
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山中城のスタンプ
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