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武田氏館 |
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場所 :
山梨県甲府市 (Googleマップ)
築城年代 : 永正16年 (1519)
築城者 : 武田信虎
主要城主 : 武田氏
スタンプ設置 : 武田神社宝物殿、神札守札授与所
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![武田氏館の地図](024_takeda/map_takedashi.jpg)
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躑躅ヶ崎館(武田氏居館)跡
この地は武田氏三代(信虎・信玄・勝頼)の居館にして躑躅ヶ崎の西方にあるところから後世この別称を用いたと伝えられる。屋形一帯の壕塁・縄張りは下図の如き構成でほぼ現存し往時を偲ぶに足る。居館中心地域については各説あるも一応下図の如き屋形配置が想像される。
~ 現地案内板引用 ~
( ※文中の「下図」は案内板では「左図」 )
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![館配置図の絵](024_takeda/yakatahaichizu.jpg)
武田氏館配置図
(案内板より)
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![武田神社入口の写真](024_takeda/IMG_1029.JPG)
武田神社 神橋
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武田神社
当神社は御祭神在世中の居館、躑躅ヶ崎館跡に鎮座しております。
躑躅ヶ崎館は、永正16年(1519)信玄公の父君信虎公が石和館(現甲府市川田)より移り、天正9年(1581)晴信の子、勝頼公が新府(現韮崎)に移るまで62年の間、甲斐武田氏の本拠、甲斐の政庁として天下にその名を轟かせました。周囲には武田二十四将を始めとする諸将の屋敷が立ち並び、さらには職人町もあり、初期の城下町を形成致しておりました。
前面(南)に甲府盆地、遠くは霊峰富士をはじめ甲斐の連山を望み、後方(北)に石水寺、要害山を控えた景勝の地で、境内は樹木が杜を作り、豊かな緑に包まれています。周囲の堀、土塁等は当時のままで、戦国時代第一級の居館と賛される「躑躅ヶ崎館」の往事を偲ばせるものです。境内地は、昭和13年(1938)国指定史跡に指定されています。
~ パンフレット引用 ~
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![武田神社の写真](024_takeda/IMG_1031.JPG)
武田神社
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![武田神社の写真](024_takeda/IMG_1033.JPG)
武田神社
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![武田神社宝物殿の写真](024_takeda/P1010963.JPG)
武田神社宝物殿
(スタンプ設置)
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![甲陽武能殿の写真](024_takeda/IMG_1034.JPG)
甲陽武能殿
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![甲陽武能殿の写真](024_takeda/P1010965.JPG)
甲陽武能殿
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![榎天神の写真](024_takeda/IMG_1036.JPG)
榎天神
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![武田水琴窟の写真](024_takeda/IMG_1035.JPG)
武田水琴窟
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武田水琴窟
土中に底に小さな穴をあけたカメを埋め、そこにわずかな水を流す。水はその穴から水滴となって落ち、カメの中で反響し、琴の音にも似た澄んだ音色を地中に響かせる。
一つの音文化の極致である。
江戸期、文化文政の時代に庭師によって考案されたこの技術は、茶室のつくばいや庭先の手水鉢に設えられ、数奇者たちに愛でられた。
昨今は「癒し」の音として注目を集めております。
~ 現地案内板引用 ~
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![パンフレットと入場券の写真](024_takeda/IMG_20210630_100856.jpg)
パンフレットと拝観券
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