「みつかる君 100名城めぐり」タイトル画像
015 足利氏館

ホーム


100名城


スタンプ


 旅行日程





リンクの画像


熟語一発検索
みつかる君




みつかる君と行く
時空の旅



   足利氏館  
 
 場所 : 栃木県足利市 (Googleマップ)

 築城年代 : 平安時代末期~鎌倉時代初期
 築城者 : 足利義兼
 主要城主 : 源氏、足利氏
 スタンプ設置 : 鑁阿寺本堂寺務所

 

足利氏館の地図
 
 足利氏館は足利義兼によって築かれたといわれ、館内に持仏堂を建立したのが、鑁阿寺の始まりです。スタンプ設置場所も鑁阿寺本堂内寺務所です。後に、足利尊氏が室町幕府を開くと鑁阿寺が足利氏発祥の地となり、氏寺として尊崇されるようになった。

 足利氏館は周囲を土塁と水堀で囲まれており、「方形館」(中世の地方武士の居所)の形を残している。

 
  鑁阿寺本堂の写真
鑁阿寺本堂
 
 
  国宝 鑁阿寺本堂 (大御堂)
 鎌倉時代初期、建久7年(1196)に足利義兼建立。正安元年(1299)再建。
本尊は源氏相伝の守本尊、大日如来。
建築は構造雄大、手法剛健、本瓦葺
唐様と和様を加味した折衷の代表的な建物で堂内の柱、天井、厨子等の価値は高い。
明治41年、国宝に指定され、昭和8年より2年間、解体修理を文部省の指導の下、実施した。
 戦後、法令改正により重要文化財となる。
平成25年8月、国宝に指定される。
境内に山門、鐘楼、不動堂、一切経堂、多宝塔、御霊殿等の七堂伽藍を備えた東国の密教の代表的な寺である。
創建以来、幸い火災にあわず多数の重要文化財を蔵している。
 開祖、義兼7世の孫は足利高氏にして京都室町に幕府を構え、幕府は十五代二百三十年つづいた。
 大祭は5月3、4、5日、11月3、4日、初詣、節分鎧年越し等、厄除・開運の祈願寺として参拝者が多い。
 真言宗大本山 金剛山 鑁阿寺
 ~ 現地案内板引用 ~


 
  鑁阿寺大銀杏の写真
鑁阿寺 大銀杏
 
 
  天然記念物 大銀杏

 開祖足利義兼の御手植えと称しているが鎌倉時代末期正和年間(1310)の当山の古地図には載っていない。
故三好学博士の鑑定によれば樹令約550年といわれる。江戸時代には既に大木となり樹下に於いて大日如来のお堂を前にして青年男女の見合いが行われ、縁結びの御神木ともいわれている。目通りの周囲9m。高さ約30m、往古より避雷針の役目を果たし、諸堂の災厄を守護した。
 最近樹勢とみに衰え衆庶の愛護を切に望む。
 ~ 現地案内板引用 ~


 
  鑁阿寺多宝塔の写真
鑁阿寺 多宝塔
 
    多宝塔 (塔婆)
 開祖足利義兼公創建と伝えられているが現在のは、元禄5年徳川五代将軍綱吉の母、桂昌院尼公の再建と伝えられていたが、相輪の宝珠を調査したところ、寛永6年(1629)銘のものが発見され塔の再建年代がさかのぼる事が判明した。
徳川氏は新田氏の後裔と称し、新田氏は足利の庄より新田の庄に分家したるが故に徳川氏は先祖発祥の地なるを以て、此の宝塔を祖先の菩提供養のため再建寄進した。
・本尊は金剛界大日如来
 本尊前に勢至菩提(俗に二十三夜尊)
 両側に十六羅漢像を祀る。
・奥に足利家の大位牌と徳川歴代将軍のお位牌を祀る。
・多宝塔としてはわが国で一番大きい
 (これ以上大きいのは大塔という。)
平成7、8年半解体修理を実施した。
 ~ 現地案内板引用 ~

 
  鑁阿寺中御堂の写真
鑁阿寺 中御堂
 
    中御堂 (不動堂)
 寺伝では開基足利義兼公の創建とあるが、文禄元年(1592)生実御所国朝の再修になる。
 御本尊不動明王は往古千葉県成田山より勧請せるもので興教大師の作といわれ霊験あらたかな不動明王である。
 本堂が明治41年国宝に指定される迄は不動堂と廊下でつながっていて四度加行の護摩法の道場として使用した堂宇である。
昭和44年信徒の浄財により半解体修理を実施した。
 商売繁盛を祈念する堂であると同時に酉年守本尊となり。
 堂の右側に古井戸の跡あり800年前足利氏が居住した時に使用したといわれる。
 ~ 現地案内板引用 ~

 
  鑁阿寺経堂の写真
鑁阿寺 経堂
 
    経堂
 当山開基、足利義兼が妻の供養の為、一切経会を修する道場として鎌倉時代に創建したといわれるが、現在の建物は応永14年(1407)関東管領足利満兼により再建された。
足利家は鎌倉・室町の両時代に盛んに一切経会を営んだ事が当山古文書(国重文)にみられる。
 堂内に八角の輪蔵(経棚)があり一切経会二千余巻を蔵するが、此の経棚は江戸時代宝永年間の大修繕のものなり。
昭和11、2年 文部技師阪谷良之進の指導の下、解体修理を実施した。
 昭和59年国重要文化財に指定さる。
 平成16、7年 屋根を主に文化庁指導の下、大修繕を実施。
 ~ 現地案内板引用 ~

 
  鑁阿寺御霊屋の写真
鑁阿寺 御霊屋
 
    御霊屋
 足利大権現と称し、俗に赤御堂とも云う。正和年間(1312)の当山伽藍配置図にも境内西北に描かれている。
創建は鎌倉時代といわれるが、現在の建物は徳川11代将軍家斉の寄進によって再建された。
 本殿に源氏の祖を祀り、拝殿に県指定文化財足利十五代将軍像を祀る。昭和32年境内整備のため以前の位置より北へ12間後退させた。
 本殿の裏に当山開基足利義兼の父、義康、祖父、義国の墓があり。昭和57、8年度栃木県及び足利市の助成を得て半解体修理を実施した。
 ~ 現地案内板引用 ~

 
  鑁阿寺校倉の写真
鑁阿寺 校倉
 
    校倉
宝庫、大黒堂とも称する。
永享4年公文所奉行の再建といわれているが、現存の棟札では当山二世満慶上人が宝暦2年の再修となる。
建築様式は校倉風で元来当山の宝物を収蔵した。
42世忍空上人の時、宝物は他へ移して足利家伝来の大黒天を祀った。
昭和55年、市の助成を得て元文部技官安田昭二に依り半解体修理を実施した。
 ~ 現地案内板引用 ~

 
  鑁阿寺姪子堂の写真
鑁阿寺 姪子堂
 
    姪子堂
時姫堂とも称し、当山開基、足利義兼の妻、北条時子(源頼朝の妻北条政子の妹)を祀り、時子の法名から智願寺殿ともいう。創建年代は不詳。
時子姫は寺伝では自害したといわれ、これにまつわる逆さ藤天神、足利又太郎忠綱の遁走、自刃の哀話は足利七不思議の伝説の中の自眉の物語りとして残っている。
妊娠の女人、此の堂にお詣りすれば栗のいがより栗が軽くもげるが如く安らかに安産のききめありといわれ、昔から信仰されている。
本尊は栗のいがを手に持つ姪子女尊。
平成5年、栃木県と足利市より補助を受けてお堂の解体修理を実施した。
 ~ 現地案内板引用 ~

 
  鑁阿寺北門(薬医門)の写真
鑁阿寺 北門(薬医門)
 
    北門 (薬医門)
当山開基、足利義兼の子、足利義氏は父の建てた鑁阿寺維持の為、堀の外十二の支院(塔中十二坊)を鎌倉時代に建て、その筆頭(塔頭)を千手院とした。
此の門は千手院(現在の足利幼稚園)の門で弘化2年卅九世学頭来昌上人の再建である。
明治四年千手院を除いて塔中十一支院を明治政府に上地後、大正7年42世学頭忍空上人は此の地に此の門を移建した。
薬医門としては、規模雄大にして、典型的な江戸末期の形式を有している。
昭和62年、足利市重要文化財の指定を受く。
 ~ 現地案内板引用 ~

 
  鑁阿寺鐘楼の写真
鑁阿寺 鐘楼
 
    鐘楼
・ 建久7年(1196)足利義兼建立
・ 建築様式 形状簡古 手法稚撲
  北鎌倉時代の和様、唐様折衷の代表的禅宗様式、桁行3間、梁間2間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺
・ 明治41年、国宝建築物に指定さる。
・ 大正5年、解体修理実施
・ 昭和26年、国重要文化財に指定さる。
・ 昭和36年、半解体修理実施
・ 平成4、5年、半解体修理実施
・ 梵鐘は元禄時代の再鋳であるが戦時の供出は歴史資料としてまぬかれる。
 ~ 現地案内板引用 ~

 
上に移動する

足利氏館のスタンプ
足利氏館のスタンプ


カバンとカメラのイラスト
足利氏館への旅

Copyright © mitukarukunn All Rights Reserved.