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水戸城 |
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場所 :
茨城県水戸市 (Googleマップ)
築城年代 :
建保2年(1214)頃、文禄2年(1593)、寛永2年(1625)
築城者 : 馬場資幹、佐竹義宣、徳川頼房
主要城主 : 馬場氏、江戸氏、佐竹氏、武田氏、徳川氏
スタンプ設置 : 弘道館料金所窓口
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水戸城は、鎌倉時代に馬場氏が築いた館を佐竹義宣が改修し、さらに徳川頼房が入城して、御三家にふさわしい城に改修した。
台地の最も高い所に本丸を築き、二の丸、三の丸を連郭式に配している平山城である。石垣は用いず、土塁と塀のみで守りを固めている。
御三家でありながら、天守の代用として三重五階の御三階櫓(1945年8月の空襲により焼失)を建てた。
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![弘道館の地図](014_mito/map_mito.jpg) |
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正門
天保12年(1841)の弘道館 創立時に建てられた正門です。
本瓦葺き四脚門という建築様式で、屋根瓦には葵の紋があります。
藩主の来館や諸儀式を行うときにのみ開門しました。
門柱や扉などにみられる傷跡は、明治元年(1868)におきた弘道館の戦いと呼ばれる藩内抗争の銃撃戦でできた弾痕です。
正門及び正門南10.0m、北11.4mの附塀は、重要文化財に指定されています。
~ 現地案内版引用 ~
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![弘道館正門の写真](014_mito/IMG_1061.JPG)
弘道館 正門
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![弘道館正庁の写真](014_mito/IMG_1081.JPG)
正庁
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文明夫人(徳川斉昭夫人)の歌碑
この碑は、弘道館が創建されたとき、玄関の前に烈公お手植の松とともに並び植えられた桜のひこばえを当時弘道館の司吏であった小澤三次郎敏行がいただいて大切に植えておいたところ非常にきれいに咲いたので文明夫人(貞芳院)がその花を賞でて次の歌をうたわれた小澤氏はそのいわれをしるした碑を水戸市桜町(現在金町)に建てたが、その後小澤幸雄氏の協力と寄贈者常陽銀行の好意によりここに移したものである。
天さかるひなにはあれとさくら花
雲のうへまでさき匂はなん
~ 現地案内版引用 ~
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![文明夫人(徳川斉昭夫人)の歌碑の写真](014_mito/IMG_1066.JPG)
文明夫人(徳川斉昭夫人)の歌碑
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左近桜
弘道館を創設した水戸徳川第九代の藩主徳川斉昭の夫人登美宮様は水戸家に御降嫁されるにあたり、「宮中にお暇乞いに参内せられた時、仁孝天皇から下賜された鉢植の桜を弘道館が出来たときにここに植えられたもので、これは紫宸殿の左近の桜の苗蘖であったが、長い年月を経たので枯朽してしまった。
昭和38年5月弘道館修復工事完了したのを記念して縁りの桜の苗を宮内庁からいただき再びここに植えられたものである。
~ 現地案内版引用 ~
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![左近桜の写真](014_mito/IMG_1063.JPG)
左近桜
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![正庁正席の間の写真](014_mito/IMG_1070.JPG)
正庁正席の間
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![正庁諸役会所の写真](014_mito/IMG_1068.JPG)
正庁諸役会所
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至善堂
この部屋が至善堂と云い藩主の座所。明治維新に将軍職を辞した徳川慶喜公(烈公第七子)がここにあって恭順の意を表し、静かに朝廷の命を待たれた由緒あるところ。
その他の三室(二の間、三の間、四の間)については、諸公子講學の場所にあてられた。
なお「至善」とは最上最高の善。人間は最高善に到達し、かつその状態を維持することを理想とすべきであるとの意。
~ 現地案内版引用 ~
要石歌碑(拓本)
古い昔から我国に伝わる大和の道はいつまでも変らない大道であるからこれを堅く信じ迷い惑わされることなく、信念をもって正しく歩むようにと教えた烈公自作の和歌である。
行末毛富美奈太賀幣曽蜻島
大和乃道存要那里家流
~ 現地案内版引用 ~
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![至善堂の写真](014_mito/IMG_1075.JPG)
至善堂と要石歌碑(拓本)の写真
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第十五代将軍
徳川慶喜公使用の長持ち
明治維新の際、将軍職を辞した徳川慶喜公が明治元年4月水戸に下り、弘道館(至善堂)にあって恭順の意を表し謹慎していた当時に使用したものとつたえられる。
~ 現地案内版引用 ~
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![雲龍水の写真](014_mito/IMG_1077.JPG)
徳川慶喜公使用の長持ち
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雲龍水
弘道館に備え付けられていた消防ポンプ。安政四年(1857)の銘があります。
手を触れないでください。
~ 現地案内版引用 ~
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![徳川慶喜公使用の長持ちの写真](014_mito/IMG_1076.JPG)
雲龍水
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弘道館の鬼瓦(昭和の大修理時の瓦)
弘道館の鬼瓦にもハートの形が使われています。ハートの模様は、日本の伝統的な「猪目」という模様で、魔除けや火災除けの意味があります。
~ 現地案内版引用 ~
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![弘道館の鬼瓦の写真](014_mito/IMG_1073.JPG)
鬼瓦
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学生警鐘
この鐘は、徳川斉昭(烈公)
自鋳のものといわれ、弘道館内の学生に時を告げたり事あるときの知らせに用いたもので、一般の寺院にある梵鐘とは趣きを異にした独創的な作りになっています。
鐘の内面には烈公自筆の鋳造由来が、また表面には、次のような自詠の和歌が
浮き彫りにしてあります。
物学布人乃為仁登
佐也加爾毛
暁告流鐘能古慧鉇
ものまなぶ
ひとのためにと
さやかにも
あかつきつぐる
かねのこえかな
~ 現地案内版引用 ~
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![学生警鐘の写真](014_mito/IMG_1084.JPG)
学生警鐘
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![徳川斉昭公の像の写真](014_mito/IMG_1083.JPG)
徳川斉昭公の像
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![パンフレットと入場券の写真](014_mito/IMG_20210721_113446.jpg)
パンフレットと入場券
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