狭山市ぶらり旅

「さわりの壺」の話
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 さわりの壺は、大正12年に拝殿造営のため本殿を移転するとき、玉垣の神門の下から発見されたもので、中から少量の籾粒と金銀の箔片が検出されました。このことから、これが、八幡神社創建当時の地鎮祭に供えた鎮物を埋蔵するのに用いた「鎮檀」であったことが推定されます。
 さわり(砂波利・砂波理・砂張)とは、銅を主として錫・鉛(または銀)を加えた黄白色の合金で、たたくとよい音がするので、響銅の字があてられたり、また胡銅器と書かれたりします。
 この壺は室町時代の制作と推定され、高さ187ミリメートル、口径70ミリメートル、最大直径100ミリメートルで、形が非常に優美で安定感があり、黄金色に白緑の色が映え、しっとりと高質な風格を持っています。

 (壺の写真は現地掲示板の写真から)