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黒山三滝の写真  黒山三滝

 越辺川の支流の三滝川に流れ落ちる男滝、女滝、天狗滝の三つの滝からなる。古くから修験者の道場として栄えたところです。
 上段が男滝、下段が女滝。
 
黒山三滝、男滝の写真  黒山三滝 男滝 

黒山三滝、女滝の写真   黒山三滝 女滝

黒山三滝天狗滝の写真   黒山三滝 天狗滝

 昼なお暗いといった雰囲気です。写真うつりが悪くてすみません。
龍穏寺山門の写真  龍隠寺 山門

 永享の頃に将軍足利利義が上杉持朝に命じて尊氏以来の先祖の冥福と戦乱に果てた人々の霊をとむらうために創立したと言われている。しかし、その後兵火にかかったので、文明4年に太田道真、太田道灌父子によって再び立て直された。
龍穏寺、太田道灌像の写真  龍隠寺 太田道灌像 

 天正十八年には、豊臣秀吉から御朱印百石を受け、次いで慶長十七年には、徳川幕府から、曹洞宗の関東三か寺を命ぜられ、国内二十三か国の曹洞宗の寺院の世話をした。
龍穏寺本堂の写真  龍隠寺 本堂

 宝暦二年に火災によって堂塔を焼失し、天保十二年に再建した。しかしながら、大正二年の火災によって、山門、経藏、熊野社を残して全焼した。現在ある本堂は戦後再建したものです。
太田道灌公墓の写真  龍隠寺 太田道灌公墓 
 永享四年、龍穏寺寺領三枝庵(父・太田道真の居城)に生る幼名鶴千代丸のち雲崗舜徳禅師(龍穏五世)について出家道灌と号す「瑞巌主人公の公案を受け大悟徹底す長禄元年江戸城を築き川越城・岩槻城・鉢形城を修築し野戦に長じ関東の雄将たり、しかるに惜むべし文明十八年神奈川伊勢原市にて謀殺される。法名香月院殿春苑道灌大居士分骨して当山に葬る。
龍穏寺経蔵の写真  龍隠寺 経蔵

 第五十六代住職道海和尚が天保年間に建立。唐破風向拝付土蔵造り、屋根は方形で銅板葺き。外壁に道元禅師一代記の彫刻、向拝天井に酒井抱一による龍の絵が描かれている。内部には一切経を納める輪蔵と輪蔵の創始者といわれる傅大士の像がある。
龍穏寺銅鐘の写真  龍隠寺 銅鐘

 この銅鐘の特徴は鐘をかける竜頭にある。一般的な和鐘の場合は背中合わせに二頭の竜を置くのに対して、一頭の竜に旗挿という筒を配する朝鮮鐘の特徴を備えている。竜頭以外の部分は基本的な和鐘の様式を踏襲している。
 高さ166.6㎝
 口径 78.0㎝
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