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 葛和田渡船場(赤岩渡船場)
 運行時間
  4月から9月  8:30~17:00
 10月から3月  8:30~16:30
 ポールの旗を揚げることで渡船小屋から乗りたいことが確認する。
 赤岩渡船場の由来
 荻野吟子生誕之地
 日本女医第一号の荻野吟子は嘉永4年(1851)3月3日幡羅郡俵瀬村の名主荻野綾三郎の五女として誕生した。幼くして妻沼両宜塾の松本万年に師事し優れた才能を開花させた。18才で結婚後病により離婚、女医の必要性を痛感し幾多の困難を経て明治18年(1885)開業試験に合格し、我が国最初の女医となり、本郷湯島に開業した。
 荻野吟子生誕之地

 開業後、キリスト教に入信し医業と共に婦人運動に参画し、明治29年(1896)北海道に渡り、瀬棚町で医院を開業するが、夫の死去により、明治41年(1908)帰京。大正2年(1913)その生涯を閉じた。
 聖天山 貴惣門
 妻沼聖天山聖天堂の正門として建てられた雄大規模の八脚門で、側面に破風を3つ重ねた類例の少ない奇抜な形式に特徴がある。総欅造。多様な技法の彫物で要所を飾るなど、江戸末期の造形芸術の粋が発揮されている上、主要部材に寄進の名を残すなど、郷民信仰の証を伝える貴重な建造物である。(国指定重要文化財建造物)
 聖天山 貴惣門

 寛保2年(1742)幕命で、利根川大洪水の復旧工事に妻沼を訪ねた周防国(山口県)岩国吉川藩の作業棟梁長谷川重右衛門に聖天堂の大工棟梁林正清が設計を依頼したもので、約百年後の嘉永4年(1851)正清の子孫林正道が棟梁となり完成した。
 聖天山 齋藤別当実盛公の像

 聖天山は齋藤別当実盛公が妻沼の庄司として、先祖伝来のご本尊聖天さまを治承3年(1179)にお祀りしたのに創まる。実盛公は平家物語、保元物語、源平盛衰記などに武勇にすぐれ義理人情に厚い人柄が称えられている。
 聖天山 四脚門(中門)

 懸魚の模様等に室町期の特徴をよく残し、寛文の大火で唯一残り聖天山の建造物群の中でも最古のものと言われている。柱に明治43年(1910)大洪水の痕跡を残している。
 里人はこの門を甚五郎門と称している。

 聖天山 仁王門

 万治元年(1658)の創立と伝えられている。明治24年に台風で倒壊したが、明治27年に再建された。左右の金剛力士は当時のまま。室町時代の気風を残している。
 聖天山 御本殿

 国指定重要文化財。奥殿34㎡、相の間27㎡、拝殿127㎡。廟型式権現造りで、奥殿は八棟造り。建造物の各部材、各壁面を総彫刻で装飾している。
 聖天山 奥殿胴羽目の彫刻

 本殿彫刻の「鷲と猿」は左甚五郎作と伝えられています。
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