| 活 躍 し た こ と |
1180年の石橋山の戦いには、父が京都で平家の人質となっていたため、源頼朝と戦ったが、後には頼朝に仕えた。
源義仲追討軍に加わり、源義経のもとで宇治川の戦いで手柄をたてた。
平家の追討、さらに1189年には、奥州平定の際にも手柄をたて、頼朝の信頼を得た。頼朝の遺託を受け、頼家の補佐を務めた。
1205年に息子の重保が北条時政の後妻、牧ノ方の娘婿である平賀朝雅と争ったことから北条氏と対立することになる。
重保が時政の謀略にはまり、由比ヶ浜で殺された後、重忠も北条義時の大軍と武蔵国二俣川(神奈川県横浜市)で戦い、戦死した。
重忠は力が強く、戦の手柄も多かったことから、鎌倉武士の模範とされた。
一ノ谷の戦いの鵯越(ひよどりごえ)では、馬を大事にするあまり馬を背負って、急な坂を駆け降りたと言われている。
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