| 生 没 年 |
1536年 ? ~ 1643年 |
| 概 略 |
安土桃山・江戸時代初期の天台宗の僧 |
| 生まれた時のこと |
会津生まれ。11歳で出家。号を南光坊・智楽院と称す。 |
| 活 躍 し た こ と |
11歳で出家。比叡山園城寺、奈良の興福寺で学ぶ。
1599年に川越の喜多院に入った。
織田信長による比叡山の焼き討ちで著しく衰えた天台宗復興のために尽力をつくした。
徳川家康に重んじられ、家康の宗教改革に対して、崇伝と共に助言者となった。
大阪の陣のきっかけとなった方向寺の鐘銘事件の黒幕と言われている。また、家康の死後、家康を日光に東照大権現として祀り、家康の権威を高めた。
1625年、上野に寛永寺を開山。「天海版」と言われる大藏経の出版をするなどして、天台宗の復興に努めた。
死後は、慈眼大師の号がおくられた。
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| そ の 他 |
ゆかりの地 川越市 |
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