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059 姫路城

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   姫路城  
 
 場所 : 兵庫県姫路 (Googleマップ)
 築城年代 : 天正8年 (1580)、慶長6年 (1601)
 築城者 : 羽柴(豊臣)秀吉、池田輝政
 主要城主 : 豊臣氏、池田氏、松平(奥平)氏、松平(結城)氏、榊原氏、酒井氏
 スタンプ設置 : 入場口横 (管理事務所入口)

 
 
姫路城の地図画像
 
 天を突くように威風堂々とそびえる、白く輝く大天守。その圧倒的な姿は、白い鷺が舞い立つように見えることから、別名「白鷺城」と呼ばれています。昭和の大修理から45年。「平成の修理」と呼ばれた大天守保存修理工事は、かけがえのない世界文化遺産・国宝を築城時そのままの美しい姿で次の世代へ引き継ぐため、漆喰壁の塗り替えや屋根瓦の葺き直しを中心に約5年をかけて行われました。


 姫路城の美しさの象徴でもある漆喰壁。外部に現れたすべての表面を漆喰で仕上げる白漆喰総塗籠造という工法が用いられています。消石灰、貝灰、すさ、海藻などを材料とする古代からの伝統工法を継承するもの。薄く何度も塗り重ねることで、その厚さは3cmにも及び、これにより火災や風雪から城を守っています。

 日本最高峰の木造建築にして、世界でも類を見ない美的完成度を誇る姫路城。城郭建築では外観の屋根の数を「重」、内部の階段を「階」で表します。大天守も外から眺めると、一見して5階建てに見えますが、内部の造りは地上6階・地下1階の7階構成になっています。
 ~ パンフレット引用 ~
 
  姫路城の写真
姫路城


 
  姫路城桜門橋の写真
姫路城 桜門橋

 
  姫路城天守群と百間廊下の写真
右:姫路城天守群  左:百間廊下

 
  姫路城天守閣の写真
姫路城 天守閣

 
  姫路城の写真
姫路城

 
    菱の門
 表玄関にふさわしく格式高い櫓門。片側だけ石垣に乗る珍しい安土桃山様式の城門。正面の冠木に名前の由来となっている木製の花菱が飾られています。
 ~ パンフレット引用 ~
 
  姫路城菱の門の写真
菱の門

 
  菱の門と天守閣の写真
菱の門と天守閣

 
    狭間
 狭間とは、天守や櫓、土塀の壁面に開かれた矢や鉄砲を放つための穴のことで、城を防備するための重要な仕掛けでした。一般的には丸型や三角形、正方形(鉄砲用)、縦長方形(弓・矢用)の4種類。現存する狭間の数は997ヶ所。開けられた位置によって立狭間、居狭間、寝狭間とも呼ばれるが、姫路城は片膝を突いて鉄砲を撃つ時に使われる居狭間が数多く見られます。
 ~ パンフレット引用 ~
 
  狭間の写真
狭間と天守閣

 
    門
 姫路城には、菱の門、「いろは‥‥る」の門、「水の一‥‥六」の門、備前門が現存しており、その様式は実にさまざまです。防備面から頑丈さを重視した柵門や木戸、堀重門、冠木(かぶき)門、高麗門、櫓門、長屋門、埋(うずみ)門など、安土桃山時代の様式を残す門など21門が残っています。
 ~ パンフレット引用 ~
 
  「にの門」の写真
にの門

 
  「水の一の門」の写真
水の一の門

 
  油壁
 秀吉時代のものとされ、城内で1ヶ所だけ残る築地塀です。
 ~ パンフレット引用 ~
  油壁の写真
油壁

 
    石落とし
 天守閣1階隅の3ヶ所に石落としがあります。大天守石垣に取り付く敵に石を落としたり、射撃のための設備です。
 ~ パンフレット引用 ~
 
  石落としの写真
石落とし

 
  天守内部の写真
天守内部

 
    破風の間
 天守入口に架かる入母屋破風の屋根裏の空間です。格子窓の一つは開閉できるようになっています。
 ~ パンフレット引用 ~
 
  破風の間の写真
破風の間

 
    東大柱
 昭和の大修理前、本来の東大柱の中心線から東南方向に約37cm傾いていました。江戸時代の初めは、大柱そのものが建物の重さなどで歪んで変位したようですが、次第に建物全体が傾いたため、多くの支柱を入れて補修をしてきました。
 ~ パンフレット引用 ~
 
  東大柱の写真
東大柱

 
  高窓の写真
高窓

 
    瓦
 姫路城の瓦は、平瓦と丸瓦を交互に組み合わせた本瓦葺で、継ぎ目には屋根目地漆喰が一面に施され甍(いらか)の美しさを表現しています。歴代城主の修理の歴史を物語るがごとく、鬼瓦、軒丸瓦などに多様な城主の家紋などが残っています。現存するだけを数えても8種類あります。
 ~ パンフレット引用 ~
 
  瓦の写真
瓦と鯱

 
  石打棚の写真
石打棚

 
  武者隠し
 建物の四隅に伏兵を配置する空間があり、内部には狭間が設けられています。
 ~ パンフレット引用 ~
  忍者隠しの写真
忍者隠し

 
  筋交の写真
筋交


    六葉釘隠し
 長押などに出ている釘の頭部を隠すための装飾。6枚の葉をデザインしていて、葉と葉の間に猪目と呼ばれるハート型の隙間ができます。
 
  六葉釘隠しの写真
六葉釘隠し

 
  姫路城の写真
姫路城 天守

 
    備前門
 折廻櫓に続く切妻の櫓門で、備前丸への重要な出入口となる城門です。築城の際、石不足であったため、門のすぐ脇には石棺が転用されています。
 ~ パンフレット引用 ~
 
  備前門の写真
備前門

 
  腹切丸の写真
腹切丸

 
  お菊井戸の写真
お菊井戸

 
  ぬの門と天守の写真
ぬの門と天守

 
    西の丸櫓群・長局(百間廊下)
 鷺山に建てられた西の丸の外周をめぐる櫓群。原生林を活かし、自然の地形に合わせて延々と続く珍しい建物。背後の断崖や狭間を見ると厳重な防備を持つ城郭であることがわかります。
 ~ パンフレット引用 ~
 
  西の丸櫓群と百間廊下の写真
西の丸櫓群と百間廊下

 
  百間廊下の写真
百間廊下

 
    化粧櫓
 千姫がこの櫓を休息所としたことが名称の由来。部屋には極彩色の豪華な装飾が施されていました。
 ~ パンフレット引用 ~
 
  千姫の写真
 
    千姫物語
 徳川家康の孫娘千姫は、7歳で大阪城の豊臣秀頼のもとへ輿入れしました。しかし、秀吉死去の後、大阪夏の陣で夫・秀頼は自害し、豊臣家は滅亡。千姫は燃えさかる炎の中から助け出されました。江戸城へ帰る道中、警護にあたっていた本多忠政の息子・忠刻と再婚。千姫20歳、忠刻21歳。千姫の化粧料(持参金)10万石で、姫路城三の丸には武蔵野御殿と呼ばれる千姫の屋敷が建てられたといわれ、城内の池泉回遊式庭園や高砂沖に船を浮かべ、仲良く連歌を楽しんだとの話も。勝姫と幸千代の一男一女にも恵まれ「千姫は、夫・忠刻と暮らした姫路城での生活(10年間)が生涯で一番幸せだった」と今でも語られています。しかし、長男・幸千代が3歳のとき病で亡くなり、5年後には夫・忠刻も31歳の若さで病に倒れます。江戸へ帰った千姫は髪をおろして「天樹院」と号し、夫や息子を想いながら竹橋御殿で余生を送り、70年の生涯を閉じました。
 ~ パンフレット引用 ~

 
  パンフレットと入場券の写真
パンフレットと入場券

 
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姫路城のスタンプ画像
姫路城のスタンプ


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