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021 江戸城 

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江戸城
 
 場所 : 東京都千代田区 (Googleマップ)
 築城年代 : 長禄元年(1457)、慶長11年(1606)、元和8年(1622)、寛永14年(1637)

 築城者 : 太田道灌、徳川家康、徳川秀忠、徳川家光
 主要城主 : 太田氏、後北条氏、徳川氏
 スタンプ設置 : 楠公休憩所、和田倉休憩所、北の丸休憩所

 
 
 江戸城は 長禄元年(1457年)に太田道灌によって構築されたが、天正18年(1590年)に北条氏が滅亡し、徳川家康が居城をここに定めた。
 以来、家康、秀忠、家光の三代にわたって西の丸、北の丸の増設や外郭の整備が行われ江戸城の総構が完成した。
 明治維新後江戸城は皇居となり、昭和24年に西の丸下及び現在の皇居を取りまくお堀の地域が「国民公園皇居外苑」として一般に開放され、昭和44年からは北の丸地域が加えられ広く国民的に親しまれている。
 この江戸城跡は、300年近くにわたる将軍の居所として、また政治の中心としての史的価値が極めて大きく、その規模はわが国随一のものであることから、昭和38年5月30日に文化財保護法による「特別史跡」に指定された。
 ~ 環境省皇居外苑管理事務所の案内板引用 ~
 

江戸城の地図
 
    天守台
  最初の天守閣は、1607年、二代将軍秀忠の代に完成しましたが、その後大修築され、1638年、三代将軍家光の代に、江戸幕府の権威を象徴する国内で最も大きな天守閣が完成しました。
 外観5層、内部6階で、地上からの高さは58メートル ありました。しかし、わずか19年後の1657年、明暦の大火( 振り袖火事 )で、飛び火により全焼し、以後は再建されませんでした。
 ~ 現地案内板 引用 ~
 
  天守台の写真
天守台
 

  石室

 この場所は、江戸城本丸御殿の大奥の脇に当たります。石室の用途は諸説ありますが、火事などの非常の際に、大奥用の調度などの避難場所と考えられています 。
 ~ 現地案内板 引用 ~
  石室の写真
石室
 
 
  松の大廊下跡
 赤穂浪士討ち入りにつながったことでも知られる。浅野内匠頭長矩の吉良上野介義央への刃傷事件( 1701年[元禄14年] )のあったところです。
 廊下に沿った襖戸に松と千鳥が描かれていたのが名前の由来といわれます。江戸城中で二番目に長い廊下で、畳敷きの立派なものでした。
 ~ 現地案内板 引用 ~
 
  松の大廊下跡の写真
松の大廊下跡
 

  同心番所
 「番所」とは、警備の詰所のことで、百人番所、大番所とこの同心番所の3つが残っています。城の奥の番所ほど、位の上の役人が詰めていました。ここには同心が詰め、主として、登城する大名の供の監視に当たっていました。
 ~ 現地案内板 引用 ~
  同心番所の写真
同心番所
 
 
  大番所
 「番所」とは、警備の詰所のことで、百人番所、同心番所とこの大番所の3つが残っています。中之門の側に設けられ、他の番所よりも位の高い与力・同心によって警備されていました。前の坂を上がったところが本丸の入り口で、中雀門があました。
 ~ 現地案内板 引用 ~

 
  大番所の写真
大番所
 
 
  諏訪の茶屋
 諏訪の茶屋は、江戸時代には吹上地区 ( 現在御所等のある一帯 ) にありました。
 この建物は、明治45年に再建されたもので、明治期の茶室風の建物として優雅な外観をもっているため、皇居東御苑の整備に当たりここに移されました。
 ~ 現地案内板 引用 ~
 
  諏訪の茶屋の写真
諏訪の茶屋
 
 
  桃華楽堂
 香淳皇后の還暦を記念して建てられた音楽堂で、1966年( 昭和41年 )に完成しました。八角形の建物で、屋根は、テッセンの花弁を形どっています。八つある壁面は、各面とも大きく羽ばたく鳥を中央に、それぞれ日月星、松竹梅、楽の音などをイメージした図柄が陶片で描かれています。香淳皇后のお印の「桃」にちなんで命名されました。
 ~ 現地案内板 引用 ~
 
  桃華楽堂の写真
桃華楽堂
 
 
大手門の写真
大手門
 
 
  旧大手門渡櫓の鯱
 1945年(昭和20年)4月、戦災で消失した旧大手門渡櫓の屋根に飾られていた鯱です。頭部に「明暦三丁酉」と刻んであることから、明暦の大火(1657年)で消失した後、再建された際に製作されたものと推定されます。今の大手門渡櫓は、1968年(昭和43年)に再建されたものです。
 ~ 現地案内板 引用 ~
 
 
鯱の写真
旧大手門渡櫓の鯱
 
 
  富士見櫓
 「櫓」とは、倉庫の防御の役割をもった建物で、かつて江戸城には19の櫓がありました。今は、伏見櫓、桜田二重櫓と、この富士見櫓の3つが残っています。その中で、富士見櫓は唯一の三重櫓です。明暦の大火 ( 1657年 ) で消失した天守閣の代用としても使われ、将軍が両国の花火や品川の海を眺めたといわれています。
 ~ 現地案内板 引用 ~
 
 
富士見櫓の写真
富士見櫓
 
 
富士見櫓の写真
後から見た 富士見櫓
  
 
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江戸城のスタンプ
江戸城のスタンプ


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