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018 鉢形城

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   鉢形城
 
 
 場所 : 埼玉県大里郡寄居町 (Googleマップ)

 築城年代 : 文明8年(1476)、永禄年間(1558~1570)
 築城者 : 長尾景治、北条氏邦
 主要城主 : 長尾氏、上杉氏、後北条氏
 スタンプ設置 : 鉢形城歴史館受付

 
 
 鉢形城は荒川に臨んだ絶崖上に位置し、南には深沢川があって自然の要害をなしています。
 文明8年(1476年)に長尾景春が築城し、その後上杉家の持城として栄えました。室町末期に至り、上杉家の家老で、この地方の豪族であった藤田康邦が、北条氏康の三男氏邦を鉢形城主に迎え入れ、小田原北条氏と提携して北武蔵から上野へかけての拠点としました。
 城跡は、西南旧折原村を大手口とし、東の旧鉢形村を搦手としています。本丸、二の丸、三の丸、秩父曲輪、諏訪曲輪等があり、西南部には侍屋敷や城下町の名前が伝えられており、寺院、神社があり、土塁、空堀が残っています。
 天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めの際、前田利家、上杉景勝、本多忠勝、真田安房守らに四方から攻撃され、三ケ月の戦いの後、落城しました。
 ~ 現地案内板 引用 ~
 

 
鉢形城の地図
   
   
虎口
 虎口とは、出入り口のことで「小口」とも書きます。江戸時代塙保己一によって編纂された武家故実の書である「武家名目抄」では、「城郭陣容の尤も要会(要害)なる処を、猛虎の歯牙にたとへて虎口というなり」と説明しています。
  三の曲輪では伝秩父曲輪から、諏訪神社(馬出)へ至る虎口の空間を全面発掘調査しました。伝秩父曲輪は、一段高くなっており、幅二間半(約5m)で6段の階段が確認されました。 階段の最上段には、門が確認され、東側は壊されていましたが、礎石の一部と雨だれによってできた溝が確認されましたので、間口は一間半(約3m)と想定しました。階段の最下段の西側には石列が一列確認され、階段を隠す「蔀」の一部と思われます。
 また、この空間は畑になっていましたが、発掘調査の結果、畑として耕されたために、上部が削られた石積土塁が検出されました。この土塁が北向きに折れる部分は、最上位面が広くなることから、ここに「櫓 (矢倉)」が建てられていた可能性があります。この「櫓」と「蔀」に挟まれた空間は、城兵が一時待機する場所である「武者溜り」と思われます。
 ここから土塁の間を通り諏訪神社(馬出)に向かう部分が虎口です。ここには、門のあった可能性が極めて高いのですが、発掘調査では確認できませんでした。柱穴が確認されなかったため礎石建ち門であった可能性があると思われます。
 「虎口」は、防御の要であり、出撃しやすくすることで、攻撃性を高めることができるため、城郭の発達段階を良く表す部分です。後北条氏系城郭の場合には、虎口の前に更に「角馬出」を設けることが特徴です。鉢形城内には、さまざまな形態の虎口があります。
 ~ 現地案内板 引用 ~
 
 
   庭園と石積み土塁

 この場所は、鉢形城の三の曲輪の中でも最も高いところで、平成10~13年度に発掘調査しました。伝承では、北条氏邦の重臣である秩父孫次郎が守った秩父曲輪といわれています。
 この曲輪は門と土塀、土塁、堀によって区画され、その内部は大きく二つに分かれます。
 そのひとつは庭園が発見された区域で、池を囲むように建物が配置されていました。発掘調査では掘立柱建物跡が数棟確認されましたが、礎石建物も建てられていたと思われます。天目や茶入れなどの茶道具や、後北条氏の中核的な支城でしか発見されていないカワラケなどが出土していることから、宴会や歌会などを行う特別な空間であったと思われます。
 それに対し、庭園の区域よりも一段低い南側の空間では、囲炉裏の存在を示す自在鉤や鍋などの生活用品が出土しており、日常生活の空間と思われます。
 この曲輪の土塁は、全長約100m、高さは約4.2mで、馬踏(上幅)約6m、敷(下幅)約12mの規模をもち、鉢形城内でも最も良く残っていました。 調査の結果、内側には河原石を3~4段の階段状に積み上げていることが確認され、雁木と呼ばれる階段もつくられていました。 裏込石がなく、高さも一段が1m程度で、いわゆる江戸時代の城の石垣とはその規模・技法等において見劣りしますが、関東の石積技術の有様や石積を専門とする技術者の存在を示す重要な発見となりました。
 整備事業では、鉢形城が廃城になる直前の時期を基準に、庭園と石積土塁、井戸、石組溝を復元し、2棟の掘立柱建物跡をそれぞれ四阿(あずまや)と丸太で表示しています。
 ~ 現地案内板 引用 ~
 
  三の曲輪の写真
三の曲輪
 
  復元四脚門の写真
復元四脚門
 
  復元石積土塁と伝秩父曲輪の写真
復元石積土塁、伝秩父曲輪、四阿
 
  石組排水溝の写真
石組排水溝
 
  井戸の写真
井戸
 
  二の曲輪の写真
二の曲輪
 
  伝御殿曲輪の写真
伝御殿曲輪
 
  笹曲輪の写真
笹曲輪
 
  鉢形城本丸址の写真
鉢形城本丸址
 
 
   馬出

 「馬出」とは、虎口(出入り口)を守るとともに、内部の城兵の動きを悟られないようにすることで、出入りを安全かつ円滑に行うことを目的に造られた施設です。鉢形城跡には馬出と考えられる遺構が多く残っています。
 この遺構は、伝承では「御金蔵」と呼ばれていましたが、その形状や調査の結果から、「馬出」と判明したものです。西・南・東の三方を薬研堀で掘り切り、北側は荒川の崖になっています。堀の深さは、西側で約7.4m、内部の広さは、間口6.5m、 奥行き12mで、門の礎石や雨落ちの石列、石敷き排水溝などが確認されています。
 石積土塁は、北・西。南側に築かれ、西側が最も長く、全長約17.5m、高さ約2.3m、馬踏(上幅)約2.3m、敷(下幅)約6.9m
で、5段の石積みが施されています。北側は3段になっていますが、発掘調査によって、当初は5段の石積みであったことが判明しました。これほど遺構の状態が良好に残っているのは、大変貴重で数少ない例です。
 この馬出は、平面形が四角い形をしていることから「角馬出」と呼ばれ、後北条氏系城郭の特徴といわれています。
 ~ 現地案内板 引用 ~
 
 
  馬出の写真
馬出
 
  鉢形城復元地図模型の写真

鉢形城復元地形模型の写真
鉢形城復元地形模型
 
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史跡 鉢形城址
 
  鉢形城のパンフレットと入場券
パンフレット&入場券
 
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