「西行戻り橋」については、次のような話があります。
歌人として名高い西行法師は、源頼朝と初めて会った時、「もとは佐藤兵衛尉義清(さとうひょうえのじょうのりきよ)今は出家遁世して西行と号する者」と名のっています。この西行が寄居町末野にやって来たのは、秩父への歌の修行に向う途中だった。末野を流れる逆川にかかる土橋まで来ると、子どもがショイコを背に鎌を振り振り渡ってきます。そこで西行は「小僧、どこへ行く」と問いかけました。すると子どもは「冬ぼきの夏枯草(麦)を刈りに行く」と無造作に答えた。西行は「冬ぼきの夏枯草」とは何んのことかわからず困ってしまった。子どもは西行の困った顔をよそに、さっさと行ってしまった。またこの時、橋のたもとのあばらやで、美しい小娘がハタを織っている姿に西行はうっとりとみとれているうちに、急にその絹がほしくなり、「その絹を売るか」とたずねました。すると娘は、「ウルカとは、川の瀬にすむ鮎のはらわた」とまるで禅問答のように言うのです。そこで西行は、秩父路では、少年も少女もむずかしい歌をたやすく作る。自分は恥ずかしいといってこの橋から戻ってしまいました。今もこの橋を「西行戻り橋」と呼んでいるのはそのためです。
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