新田義宗は戦に敗れた後、再起の時を待つために主な家臣に言い含めて、軍勢を群馬県に引き返らせ、それから「義宗は北国に落ちていった」と云いふらせ、自分はひそかに所沢に隠れ住んだ。ところがその後、足利氏の勢いは日増しに強くなり、ついに南北朝も統一され、戦乱もおさまったとの話が伝わってきた。そこで義宗は髪を落とし衣を着て、今までの隠れ家をお堂に改めた。そして、一体の薬師如来を彫刻し、その腹の中に守本尊をまつりこみ、戦死した一族や部下の菩提を弔いながら毎日を送り、ついに応永20年(1413)この地で亡くなった。
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