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遷喬館
1799年、岩槻藩の学者、児玉南柯が私塾として建てた。後に藩校となった。藁葺屋根平屋建て。生徒収容数40名。時の鐘
岩槻に過ぎたるものが二つある児玉南柯と時の鐘
1671年、時の岩槻城主阿部正春が治工渡辺近江掾正次に命じて新鋳さ、城内、城下の人々に時を知らせた。昔はこの鐘の音が九里四方鳴り響き、江戸にもとどくほどだった。華林山 慈恩寺
板東札所十二番として、広い範囲の信仰、巡礼者を集め、さらに歴代の岩槻城主や幕府の保護を受けた古刹である。華林山 慈恩寺
板東三十三観音の第十二番。西遊記の三蔵法師のモデル玄奘三蔵とゆかりが深いお寺。
本堂は十三間四面のりっぱなもので、天保14年に再建。華林山 慈恩寺
欄間には七福神や獅子などのみごとな彫刻が施されている。華林山 慈恩寺
鐘楼
文奘三蔵霊骨塔
西遊記で知られる三蔵法師(玄奘)は西暦602年中国に生まれ、経典を求め天竺を志し、幾多の辛苦を克服し大般若経600巻等と経典を訳した。昭和17年南京で霊骨が発見され、日本にも分骨された。文奘三蔵天竺求法像 前のページへ
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